妙密上人御消息

妙密上人御消息     /建治二年三月 五十五歳御作

+ 与m谷妙密

 青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ五戒の始は不殺生戒六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒二百五十戒十重禁

戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば

又第一の重罪なり、如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、生をあわれむしるしには命を奪はず施食を修

するが第一の戒にて候なり、人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く、命を

つぐは人中天上に生れては長命の果報を得仏に成りては法身如来と顕れ其の身虚空と等し、力を授くる故に人中

天上に生れては威徳の人と成りて眷属多し、仏に成りては報身如来と顕れて蓮華の台に居し八月十五夜の月の晴

天に出でたるが如し、色をます故に人中天上に生れては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては

応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし、夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり大海の初は一露なり一を重ぬれば

二となり二を重ぬれば三乃至十百千万億阿僧祇の母は唯一なるべし。

されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代地神五代の後人王百代其の初めの王をば神武天皇と申す、神武

より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影僧尼等を渡す、用明天皇の太子の上

宮と申せし人仏法を読み初め法華経を漢土よりとりよせさせ給いて疏を作りて弘めさせ給いき、それより後人王

三十七代孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人新羅国より三論宗成実宗を渡す、同じき御代に道昭と申す僧漢土よ

り法相宗倶舎宗を渡す、同じき御代に審祥大徳華厳宗を渡す、第四十四代元正天皇の御宇に天竺の上人大日経を

渡す、第四十五代聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人漢土より日本国に律宗を渡せし

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次でに天台宗の玄義文句円頓止観浄名疏等を渡す、然れども真言宗と法華宗との二宗をばいまだ弘め給はず、人

王第五十代桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり後には伝教大師と号す、此の人入唐已前に真言宗と天台宗の二

宗の章疏を十五年が間但一人見置き給いき、後に延暦二十三年七月に漢土に渡りかへる年の六月に本朝に著かせ

給いて、天台真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、其の後于今四百年なり、総じて日本国に仏法

渡りて于今七百余年なり、或は弥陀の名号或は大日の名号或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給へる人人はお

はすれども、いまだ法華経の題目南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも仏滅後

一千年の間迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親等の大論師仏法を五天竺に弘通せしかども漢土に仏法渡りて数百年の間摩

騰迦竺法蘭羅什三蔵南岳天台妙楽等或は疏を作り或は経を釈せしかどもいまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如

く勧められず、唯自身一人計り唱へ或は経を講ずる時講師計り唱る事あり、然るに八宗九宗等其の義まちまちな

れども多分は弥陀の名号次には観音の名号次には釈迦仏の名号次には大日薬師等の名号をば唱へ給へる高祖先徳

等はおはすれども何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱へざりけん、其の故を能く能く尋ね

習い給ふべし、譬えば大医の一切の病の根源薬の浅深は弁へたれども故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが

如し。

されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりける

か、今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀大日釈迦等の軽薬にては治し難し、又月はいみじけれども秋にあらざ

れば光を惜む花は目出けれども春にあらざればさかず、一切時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流

布の時に当らざるか、又仏教を弘るは仏の御使なり随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、正法千年に出でし

論師像法千年に出づる人師等は多くは小乗権大乗法華経の或は迹門或は枝葉を譲られし人人なり、

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いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給はず、此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一

閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。

然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず又末葉にもあらず持戒破戒にも闕て無戒の僧有智無智にもはづれたる牛

羊の如くなる者なり、何にしてか申し初めけん上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立て

ねごとの様に心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、所詮よき事にや候らん又悪き事に

や侍るらん我もしらず人もわきまへがたきか、但し法華経を開いて拝し奉るに此の経をば等覚の菩薩文殊弥勒観

音普賢までも輙く一句一偈をも持つ人なし、「唯仏与仏」と説き給へり、されば華厳経は最初の頓説円満の経な

れども法慧等の四菩薩に説かせ給ふ、般若経は又華厳経程こそなけれども当分は最上の経ぞかし、然れども須菩

提これを説く、但法華経計りこそ三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ、されば普賢文殊なりとも輙く一句

一偈をも説かせ給うべからず、何に況や末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも自身には持ちがたし、諸宗の元

祖等法華経を読み奉れば各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり、然れども詮を論ずれば慈恩

大師は深密経唯識論を師として法華経をよみ、嘉祥大師は般若経中論を師として法華経をよむ、杜順法蔵等は華

厳経十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏金剛智不空等は大日経を師として法華経をよむ、此等の人人

は各法華経をよめりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を論ずれば伝教大師ことはりて云く「法

華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」云云、例せば外道は仏経をよめども外道と同じ蝙蝠が昼を夜と見るが

如し、又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ太刀に顔をうつせるもの円かなる面をほそながしと思ふに似たり。

今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、

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麻の中の蓬墨うてる木の自体は正直ならざれども自然に直ぐなるが如し、経のままに唱うればまがれる心なし、

当に知るべし仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか、又それ他人の弘めさせ給ふ仏法は皆師より習

ひ伝へ給へり、例せば鎌倉の御家人等の御知行所領の地頭或は一町二町なれども皆故大将家の御恩なり、何に況

や百町千町一国二国を知行する人人をや、賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れ

る人なり、仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又

賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大

師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なく

してさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗七宗に勝れたりと心得給いしは是れ聖人なり、然れば外典に云く「生

れながらにして之を知る者は上なり[上とは聖人の名なり]学んで之を知る者は次なり[次とは賢人の名なり]

」内典に云く「我が行師の保無し」等云云、夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり、天台伝教の二人は聖賢に

通ずべし、馬鳴竜樹無著天親等老子孔子等は或は小乗或は権大乗或は外典の聖賢なり、法華経の聖賢には非ず。

 今日蓮は聖にも賢にも非ず持戒にも無戒にも有智にも無智も当らず、然れども法華経の題目の流布すべき後五

百歳二千二百二十余年の時に生れて近くは日本国遠くは月氏漢土の諸宗の人人唱へ始めざる先に南無妙法蓮華経

と高声によばはりて二十余年をふる間或は罵られ打たれ或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定められぬ

、其の外の大難数をしらず譬へば大湯に大豆を漬し小水に大魚の有るが如し、経に云く「而も此の経は如来の現

在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「諸の無智の人有りて悪

口罵詈す」或は云く「刀杖瓦石を加え或は数数擯出せらる」等云云、此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏

の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し、

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仏の金言空くして正直の御経に大妄語を雑へたるなるべし、此等を以て思ふに恐くは天台伝教の聖人にも及ぶべ

し又老子孔子をも下しぬべし、日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の

始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん

、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、

木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる、日本国の人人は法華経は尊とけれども日蓮

房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱えまじとことはり給ふとも今一度も二度も大蒙古国より押し寄せて壹岐対馬

の様に男をば打ち死し女をば押し取り京鎌倉に打ち入りて国主並びに大臣百官等を搦め取り牛馬の前にけたてつ

よく責めん時は争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき、法華経の第五の巻をもって日蓮が面を数箇度打ちたりしは

日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし、不軽品の如く身を責め勧持品の如く身に当つて貴し貴し。

但し法華経の行者を悪人に打たせじと仏前にして起請をかきたりし梵王帝釈日月四天等いかに口惜かるらん、

現身にも天罰をあたらざる事は小事ならざれば始中終をくくりて其の身を亡すのみならず議せらるるか、あへて

日蓮が失にあらず謗法の法師等をたすけんが為に彼等が大禍を自身に招きよせさせ給うか。

此等を以て思ふに便宜ごとの青鳧五連の御志は日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、国中の諸人

一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ

須弥山の微塵をつむが如し、殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓わせ給う、此を推するに妙密上人並び

に女房をば母の一子を思ふが如ぐ牛の尾を愛するが如く昼夜にまほらせ給うらん、たのもしたのもし、事多し

といへども委く申すにいとまあらず、女房にも委く申し給へ此は諂へる言にはあらず、

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金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずか

なり讃むる言こそ多く候へと思食すべし。

= 閏三月五日 日蓮花押

% m谷妙密上人御返事