日女御前御返事

日女御前御返事     /弘安元年六月 五十七歳御作

 御布施七貫文送り給び畢んぬ、属累品の御心は仏虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野

)のすすきのごとく富士山の木のごとくぞくぞくとひざをつめよせて頭を地につけ身をまげ掌をあはせあせを流

し、つゆしげくおはせし上行菩薩等文殊等大梵天王帝釈日月四天王竜王十羅刹女等に法華経をゆづらんがために

、三度まで頂をなでさせ給ふ、譬えば悲母の一子が頂のかみをなづるがごとし、爾の時に上行乃至日月等忝き仰

せを蒙りて法華経を末代に弘通せんとちかひ給いしなり、薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩薩日月浄明徳仏

に法華経を習わせ給いて其の師の恩と申し法華経のたうとさと申しかんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給いし

かどもなを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間当時の油にとうしみを入れてたくがごとく身をたいて仏を

供養し

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後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし法華経を御供養候き。

 されば今法華経を後五百歳の女人供養せば其の功徳を一分ものこさずゆづるべし、譬えば長者の一子に一切の

財宝をゆづるがごとし、妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり、昔の雲雷音王仏

の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり、昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり、釈迦如来の娑婆世界にして法華

経を説き給ふにまいりて約束申して末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云。観音品と申すは又普門

品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候、此を観音品と名づく後には観音の持ち給へる法華経

を持つ人の功徳をとけり此を普門品と名く、陀羅尼品と申すは二聖二天十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様

を説きけり、二聖と申すは薬王と勇施となり二天と申すは毘沙門と持国天となり十羅刹女と申すは十人の大鬼神

女四天下の一切の鬼神の母なり又十羅刹女の母あり鬼子母神是なり、鬼のならひとして人を食す、人に三十六物

あり所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、而るに下品の鬼神は糞等を食し中

品の鬼神は骨等を食す上品の鬼神は精気を食す、此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり

、鬼神に二あり一には善鬼二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す悪鬼は法華経の行者を食す、今日本国の去

年今年の大疫病は何とか心うべき此を答ふべき様は一には善鬼なり梵王帝釈日月四天の許されありて法華経の怨

を食す、二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す、善鬼が法華経の怨を食ふこと

は官兵の朝敵を罰するがごとし、悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし、例せば日本国

に仏法の渡りてありし時仏法の敵たりし物部の大連守屋等も疫病をやみき蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明敏達

用明の三代の国王は心には仏法釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども外には国の礼にまかせて天照太神熊

野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども

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仏と法との信はうすく神の信はあつかりしかば強きにひかれて三代の国王疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき、此

をもて上の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし、されば身をすてて信ぜん

人人はやまぬへんもあるべし又やむともたすかるへんもあるべし、又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべ

し、例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。

 又日本国の一切の真言師の悪霊となれると並に禅宗念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり、

又梵釈日月十羅刹の眷属日本国に乱入せり、両方互に責めとらんとはげむなり、而るに十羅刹女は総じて法華経

の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に法華経を

持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候なり、又余の宗

宗も此を以て押し計るべし、又法華経をば経のごとく持つ人人も法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事

により或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほ

るなり、例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり、父が我がいとをしきめを

とり母が我がいとをしきおとこを奪ふとも子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地

獄に堕つる業なり、何に況や父母にまされる賢王に背かんをや、何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の

師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや。

 黄河は千年に一度すむといへり聖人は千年に一度出ずるなり、仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うとい

へども法華経には値いがたし、設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、何ぞなれば

末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳阿含方等般若大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は

勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破れん」

云云、

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今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、聖人の国にあるをあ

だむゆへと見えたり、師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、日本国の一切衆生す

でに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ今一分は身はやまざれども心はやみぬ、又頭も顕にも冥にも破ぬらん、罰

に四あり総罰別罰冥罰顕罰なり、聖人をあだめは総罰一国にわたる又四天下又六欲四禅にわたる、賢人をあだめ

ば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国

に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ

故とも愚人は弁へざるか。

 設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、日本

国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせん

はいか程の功徳かあるべき、誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師な

くば畜生の眼耳にてこそあらましか、日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方一切の仏の中には阿弥陀仏一

切の行の中には弥陀の名号此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり一向なる人もありしに、某去ぬる建長五

年より今に至るまで二十余年の間遠くは一代聖教の勝劣先後浅深を立て近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下

を立て申す程に上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、或は師師に問い或は主主に訴へ或は傍輩にかたり

或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国郡郡郷郷村村寺寺社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経

を念仏に対して念仏のいみじき様法華経の叶ひがたき事諸人のいみじき様日蓮わろき様を申す程に上もあだみ下

も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、かう申せば日本国の人人並に日蓮が方の中にも物におばえ

ぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれうに申す、各各

の心にまかせ給うべし。

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 妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、末代に及びても女房の男を

すすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし、いはうや此は女房も男も共に御信用あり鳥の二の

羽そなはり車の二つの輪かかれり何事か成ぜざるべき、天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さ

き菓なるべし。

 次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如

し、此は小乗経の仏なり、又普賢文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり、而るに一代

超過の法華経八箇年が間十方の諸仏菩薩等大地微塵よりも多く集まり候しに左右の臣たる普賢菩薩のおはせざり

しは不思議なりし事なり、而れども妙荘厳王品をとかれてさておはりぬべかりしに東方宝威徳浄王仏の国より万

億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率しておくればせして参らせ給いしかば、仏の御きそくやあしからんずらんと

思ひし故にや色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮

に流布せんことことにねんごろなるべきと申すにやめでさせ給いけん、返つて上の上位よりもことにねんごろに

仏ほめさせ給へり。

 かかる法華経を末代の女人二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多

宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんと

かんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに

蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし、十善を持てる人太子と生んとして后の御腹にましませ

ば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す、法華経二十八品の文字六万九千三百八十四字一一の文字は字ごとに

太子のごとし字毎に仏の御種子なり、

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闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物

一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる。

 日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦多宝十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此を

すいすあらたうとしたうとし、周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末三十七代八百年の間すゑ

ずゑはひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ、阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら(頻

婆沙羅)王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間位を持ち給いき、当世も又かくの如く法華経の御かた

きに成りて候代なれば須臾も持つべしとはみえねども故権の大夫殿武蔵の前司入道殿の御まつりごといみじくて

暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。

 此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、我等は何れをも信じたりと云云、

日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病飢饉大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで

大科に行ひしはいかに不便不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦多宝十方の諸仏の御

父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。

=  六月二十五日 日蓮花押

%   日女御前御返事

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