千日尼御前御返事

千日尼御前御返事       /弘安元年七月二十八日 五十七歳御作

+与阿仏房尼

 弘安元年太歳戊寅七月六日佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ同

じき夫の阿仏房を使として送り給う御文に云く、女人の罪障はいかがと存じ候へども御法門に法華経は女人の成

仏をさきとするぞと候いしを万事はたのみまいらせ候いて等云云。

 夫れ法華経と申し候御経は誰れ仏の説き給いて候ぞとをもひ候へば此の日本国より西漢土より又西流沙葱嶺と

申すよりは又はるか西月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子十九の年位をすてさせ給いて檀どく山と申す

山に入り御出家三十にして仏とならせ給い身は金色と変じ神は三世をかがみさせ給う、すぎにし事来るべき事か

がみにかけさせ給いておはせし仏の五十余年が間一代一切の経経を説きおかせ給う、此の一切の経経仏の滅後一

千年が間月氏国にやうやくひろまり候いしかどもいまだ漢土日本国等へは来り候はず、仏滅度後一千十五年と申

せしに漢土へ仏法渡りはじめて候いしかども又いまだ法華経はわたり給はず。

 仏法漢土にわたりて二百余年に及んで月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり、彼の国の内に鳩摩羅えん三

蔵と申せし人の御弟子に鳩摩羅什と申せし人彼の国より月氏に入り須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさ

づかり給いき、其の経を授けし時の御語に云く此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云、此の御語を持ちて月氏

より東方漢土へはわたし給いしなり。

 漢土には仏法わたりて二百余年後秦王の御宇に渡りて候いき、日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇治十三

年壬申十月十三日辛酉の日此れより西百済国と申す国より聖明皇日本国に仏法をわたす、

P1310

此れは漢土に仏法わたりて四百年仏滅後一千四百余年なり、其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二

代用明天皇の太子聖徳太子と申せし人漢土へ使をつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給いき

、それよりこのかた七百余年なり、仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上月氏漢土日本の山山河河海海里

里遠くへだたり人人心心国国各各別別にして語かわりしなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え

候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まし

ます流通に普賢経序文の無量義経各一巻已上此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見る

がごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序品の無量義経を見みまいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕

わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたも

うべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品には「妙法華経皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵

天に至る」と申す経文赫赫たり、其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ江河に譬へ小王に

譬へ小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ日に譬へ大海大山大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆

如来の金言なり十方の諸仏の御評定の御言なり、一切の菩薩二乗梵天帝釈今の天に懸りて明鏡のごとくにましま

す、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏漢土日本国のふるき神たちも皆其

の座につらなり給いし神神なり、天照太神八幡大菩薩熊野すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず、此

の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等は

きじのごとし兎のごとし鷲につかまれては涙をながし師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者律僧禅僧真言師

等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬればいろを失い魂をけすなり。

P1311

 かかるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩二乗凡夫皆

仏になり給うやうをとかれて候へどもいまだ其のしるしなし、設えば始めたる客人が相貌うるわしくして心もい

さぎよくよく口もきいて候へばいう事疑なけれどもさきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ語のみに

ては信じがたきぞかし、其の時語にまかせて大なる事度度あひ候へばさては後の事もたのもしなんど申すぞかし

、一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり、譬へばくろき物を白くなす事漆

を雪となし不浄を清浄になす事濁水に如意珠を入れたるがごとし、竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましま

しき、此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑う者は候はざりしか、されば此の経は女人成仏を手本としてと

かれたりと申す、されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給う

には「能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等、漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給いしに

は「他経は但男に記して女に記せず乃至今経は皆記す」等云云、此れは一代聖教の中には法華経第一法華経の中

には女人成仏第一なりとことわらせ給うにや、されば日本の一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せ

ずと嫌うとも法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。

 しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いま

いらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩国主の恩一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母を

ば大地に譬へたりいづれもわけがたし、其の中にも悲母の大恩ことにほうじがたし、此れを報ぜんとをもうに外

典の三墳五典孝経等によて報ぜんとをもへば現在をやしないて後世をたすけがたし、身をやしない魂をたすけず

内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗大乗は女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし小乗は女人成仏一向に許

されず、大乗経は或は成仏或は往生を許たるやうなれども仏の仮言にて実事なし、

P1312

但法華経計りこそ女人成仏悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば悲母の恩を報ぜんために此の経

の題目を一切の女人に唱えさせんと願す、其れに日本国の一切の女人は漢土の善導日本の慧心永観法然等にすか

されて詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人一人も唱うることなし、但南無阿弥陀仏と一日に一返

十返百千万億反乃至三万十万反一生が間昼夜十二時に又他事なし、道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念

仏を本とせり、わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてずさびをもわしき男のひまに心なら

ず心ざしなき男にあうがごとし。

 されば日本国の一切の女人法華経の御心に叶うは一人もなし、我が悲母に詮とすべき法華経をば唱えずして弥

陀に心をかけば法華経は本ならねばたすけ給うべからず、弥陀念仏は女人たすくるの法にあらず必ず地獄に堕ち

給うべし、いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんがために弥陀念仏は無間地獄の業なり五逆にはあら

ざれども五逆にすぎたり、父母を殺す人は其の肉身をばやぶれども父母を後生に無間地獄には入れず、今日本国

の女人は必ず法華経にて仏になるべきをたぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ、悪ならざればすかされぬ、

仏になる種ならざれば仏にはならず弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失う小善の念仏は大悪の五逆にすぎ

たり、譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ天喜の貞任は奥州をうちとどめし民を王へ通せざりしかば朝敵と

なりてついにほろぼされぬ、此等は五逆にすぎたる謀反なり。

 今日本国の仏法も又かくのごとし色かわれる謀反なり、法華経は大王大日経観無量寿経真言宗浄土宗禅宗律僧

等は彼れ彼れの小経によて法華経の大怨敵となりぬるを日本の一切の女人等は我が心のをろかなるをば知らずし

て我をたすくる日蓮をかたきとをもひて大怨敵たる念仏者禅律真言師等を善知識とあやまてり、たすけんとする

日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながさ

れぬ。

P1313

 ここに日蓮願つて云く日蓮は全くワなし設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがた

かるべし、何に況や法華経のままに申す、而るを一切の女人等信ぜずばさでこそ有るべきにかへりて日蓮をうた

する、日蓮が僻事か釈迦多宝十方の諸仏菩薩二乗梵釈四天等いかに計らい給うぞ、日蓮僻事ならば其の義を示し

給へ、ことには日月天は眼前の境界なり、又仏前にしてきかせ給える上法華経の行者をあだまんものをば「頭破

れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へばいかんが候べきと日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰す

ゆへに此の疫病出現せり、他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに両方の人あまた死ぬべきに天の御計

らいとしてまづ民を滅ぼして人の手足を切るがごとくして大事の合戦なくして此の国の王臣等をせめかたぶけて

法華経の御敵を滅ぼして正法を弘通せんとなり。

 而るに日蓮佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ万民は其の命

に随う、念仏者禅律真言師等は鎌倉よりもいかにもして此れへわたらぬやう計ると申しつかわし極楽寺の良観房

等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかばいかにも命たすかるべきや

うはなかりしに天の御計らいはさてをきぬ、地頭地頭念仏者念仏者等日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人も

あるをまどわさんとせめしに阿仏房にひつをしおわせ夜中に度度御わたりありし事いつの世にかわすらむ、只悲

母の佐渡の国に生れかわりて有るか。

 漢土に沛公と申せし人王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行

うべし、沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日二七日なんど有るなり、其の時命すでにをわりぬべか

りしに沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時命をたすけしが彼は妻なればなさけすてがたし、

P1314

此れは後世ををぼせずばなにしにかかくはおはすべき、又其の故に或は所ををい或はくわれうをひき或は宅をと

られなんどせしについにとをらせ給いぬ、法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみ

へて候へ、されば十万億供養の女人なり、其の上人は見る眼の前には心ざし有りともさしはなれぬれば心はわす

れずともさでこそ候に去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に佐渡の国より

三度まで夫をつかはす、いくらほどの御心ざしぞ大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし、釈迦如来

は我が薩ト王子たりし時うへたる虎に身をかいし功徳尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば我が末の

代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ多宝十方の仏の御前にては申させ給いしか。

 其の上御消息に云く尼が父の十三年は来る八月十一日又云くぜに一貫もん等云云、あまりの御心ざしの切に候

へばありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候、日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて

御ちやうもんあるべし、此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし、抑去年今年のありさまはいかにか

ならせ給いぬらむとをぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれどもいまだいぶかしく候いつるに七月二十

七日の申の時に阿仏房を見つけて尼ごぜんはいかにこう入道殿はいかにとまづといて候いつればいまだやまず、

こう入道殿は同道にて候いつるがわせはすでにちかづきぬこわなしいかんがせんとてかへられ候いつるとかたり

候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶが

ごとし、あわれあわれふしぎ(不思議)なる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすく

なく候、同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候いつるにふねやぶれてたすけぶねに値えるか、

又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。

 さわの入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさえ給え、ただし入道の事は申し切り候いしかばをもい合せ

給うらむ、

P1315

いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給うべからず、かえりて阿弥陀仏の御かたきなり後

生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。

 ただし入道の堂のらうにていのちをたびたびたすけられたりし事こそいかにすべしともをぼへ候はね、学乗房

をもつてはかにつねづね法華経をよませ給えとかたらせ給え、それも叶うべしとはをぼえず、さても尼のいかに

たよりなかるらむとなげくと申しつたへさせ給い候へ、又又申すべし。

=七月二十八日                  日蓮花押

%佐渡国府阿仏房尼御前