千日尼御前御返事

千日尼御前御返事 /弘安元年十月十九日 五十七歳御作

+与阿仏房尼

 青鳧一貫文干飯一斗種種の物給い候い了んぬ、仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、仏に漿

をまひらせし老女は辟支仏と生れたり、法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏東南

方無憂徳仏南方栴檀徳仏西南方宝施仏西方無量明仏西北方華徳仏北方相徳仏東北方三乗行仏上方広衆徳仏下方明

徳仏なり、三世の仏と申すは過去荘厳劫の千仏現在賢劫の千仏未来星宿劫の千仏乃至華厳経法華経涅槃経等の大

小権実顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏尽十方世界の微塵数の菩薩等も皆悉く法華経の妙の一字より出生し給

へり、故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種の身は方等より生ず」等云云、方等とは月氏の語漢土には大

乗と翻ず大乗と申すは法華経の名なり、阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳般若大日経等は阿含経に対す

れば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり、法華経に勝れたる経なき故に一大乗経なり、

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例せば南閻浮提八万四千の国国の王王は其の国国にては大王と云う転輪聖王に対すれば小王と申す、乃至六欲四

禅の王王は大小に渡る、色界の頂の大梵天王独り大王にして小の文字をつくる事なきが如し、仏は子なり法華経

は父母なり、譬えば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす、一人の父母を供養すれば

千子を供養するになりぬ。

 又法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故

なり、譬えば一の師子に百子あり彼の百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七

分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄餓鬼畜生等の百

獣に恐るる事なし、譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草

につきぬれば衆草焼け亡ぶるのみならず大木大石皆焼け失せぬ、妙の一字の智火以て此くの如し諸罪消ゆるのみ

ならず衆罪かへりて功徳となる毒薬変じて甘露となる是なり、譬えば黒漆に白物を入れぬれば白色となる、女人

の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事

千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の

如しュなる事兜羅緜の如し。

 佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年

に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏其の御心をしろしめすらん、譬えば天月は四万由

旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをは

せども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見ては

なにかせん心こそ大切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん、南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

P1317

=弘安元年後十月十九日      日蓮花押

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