船守弥三郎許御書

船守弥三郎許御書     /弘長元年六月 四十歳御作

わざと使を以てちまきさけほしひさんせうかみしなじな給候い畢んぬ、又つかひ申され候は御かくさせ給へと

申し上げ候へと日蓮心得申べく候、日蓮去る五月十二日流罪の時その津につきて候しにいまだ名をもききをよび

まいらせず候ところに船よりあがりくるしみ候いきところにねんごろにあたらせ給い候し事はいかなる宿習なる

らん、過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給う

か、たとひ男はさもあるべきに女房の身として食をあたへ洗足てうづ其の外さも事ねんごろなる事日蓮はしらず

不思議とも申すばかりなし、ことに三十日あまりありて内心に法華経を信じ日蓮を供養し給う事いかなる事のよ

しなるや、かかる地頭万民日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひききく人はあだむ、こ

とに五月のころなれば米もとぼしかるらんに日蓮を内内にてはぐくみ給いしことは日蓮が父母の伊豆の伊東かわ

なと云うところに生れかわり給うか、法華経第四に云く「及清信士女供養於法師」と云云、法華経を行ぜん者を

ば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべしと云う経文なり、弥三郎殿

夫婦の士女と生れて日蓮法師を供養する事疑なし。

 さきにまいらせし文につぶさにかきて候し間今はくはしからず、ことに当地頭の病悩について祈せい申すべき

よし仰せ候し間案にあつかひて候、然れども一分信仰の心を日蓮に出し給へば法華経へそせうとこそをもひ候へ

、此の時は十羅刹女もいかでか力をあわせ給はざるべきと思い候いて法華経釈迦多宝十方の諸仏並に天照八幡大

小の神祇等に申して候、定めて評議ありてぞしるしをばあらはし給はん、よも日蓮をば捨てさせ給はじ、

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いたきとかゆきとの如くあてがわせ給はんとをもひ候いしについに病悩なをり海中いろくづの中より出現の仏体

を日蓮にたまわる事此れ病悩のゆへなり、さだめて十羅刹女のせめなり、此の功徳も夫婦二人の功徳となるべし

、我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが法華経の行者となりて無始色心本是理性妙境妙智金剛不滅の

仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや、過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事

なり、法華経の一念三千の法門常住此説法のふるまいなり、かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫は

しる事なし。

 寿量品に云く「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり、迷悟の不同は沙羅の四見の如

し、一念三千の仏と申すは法界の成仏と云う事にて候ぞ。

 雪山童子のまへにきたりし鬼神は帝釈の変作なり、尸毘王の所へにげ入りし鳩は昆首羯摩天ぞかし、班足王の

城へ入りし普明王は教主釈尊にてまします、肉眼はしらず仏眼は此れをみる、虚空と大海とには魚鳥の飛行する

あとあり此等は経文にみえたり、木像即金色なり金色即木像なり、あぬるだ(阿イ棲駄)が金はうさぎとなり死

人となる、釈摩男がたなごころにはいさごも金となる、此等は思議すべからず、凡夫即仏なり仏即凡夫なり一念

三千我実成仏これなり。

しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか、伊東とかわなのみちのほどはちか

く候へども心はとをし後のためにふみをまいらせ候ぞ、人にかたらずして心得させ給へすこしも人しるならば御

ためあしかりぬべし、むねのうちにをきてかたり給う事なかれあなかしこあなかしこ、南無妙法蓮華経。

=弘長元年六月二十七日                     日蓮花押

% 船守弥三郎殿許へ之を遣わす

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