弥三郎殿御返事

弥三郎殿御返事 /建治三年 五十六歳御作

是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは法華の第二の巻に今此三界とかや申す文に

て候なり、此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領なり、天照太神八幡大菩薩神武天皇等の一切の神国主並に

万民までも釈迦仏の御所領の内なる上此の仏は我等衆生に三の故御坐す大恩の仏なり、一には国主なり二には師

匠なり三には親父なり、此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一切衆

生は設い釈迦仏にねんごろに仕ふる事当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を並べて同じ様にもてなし進らせば大

なる失なり、譬えば我が主の而も智者にて御坐さんを他国の王に思ひ替えて日本国にすみながら漢土高麗の王を

重んじて日本国の王におろそかならんをば此の国の大王いみじと申す者ならんや、況や日本国の諸僧は一人もな

く釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を著たり、阿弥陀仏の弟子にはあらぬぞかし、然るに釈迦堂法華堂画像木

像法華経一部も持ち候はぬ僧共が三徳全く備はり給へる釈迦仏をば閣きて一徳もなき阿弥陀仏を国こぞりて郷村

家ごとに人の数よりも多く立てならべ阿弥陀仏の名号を一向に申して一日に六万八万なんどす、

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打ち見て候所はあら貴や貴やと見へ候へども法華経を以て見進らせ候へば中中日日に十悪を造る悪人よりは過重

きは善人なり、悪人は何れの仏にもよりまいらせ候はねば思い替る辺もなし、若し又善人とも成らば法華経に付

き進らする事もや有りなん、日本国の人人は何にも阿弥陀仏より釈迦仏念仏よりも法華経を重くしたしく心よせ

に思い進らせぬる事難かるべし、されば此の人人は善人に似て悪人なり、悪人の中には一閻浮提第一の大謗法の

者大闡提の人なり、釈迦仏此の人をば法華経の二の巻に「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めさせ給へり、

されば今の日本国の諸僧等は提婆達多瞿伽梨尊者にも過ぎたる大悪人なり、又在家の人人は此等を貴み供養し給

う故に此の国眼前に無間地獄と変じて諸人現身に大飢渇大疫病先代になき大苦を受くる上他国より責めらるべし

、此れは偏に梵天帝釈日月等の御はからひなり、かかる事をば日本国には但日蓮一人計り知って始は云うべきか

云うまじきかとうらおもひけれどもさりとては何にすべき、一切衆生の父母たる上仏の仰せを背くべきか、我が

身こそ何様にもならめと思いて云い出せしかば二十余年所をおはれ弟子等を殺され我が身も疵を蒙り二度まで流

され結句は頚切られんとす、是れ偏に日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あら

ん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ

無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或

は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは

何に科を免るべき、此の人人は我があらぎをば知らずして日蓮があらぎの様に思へり、譬えば物ねたみする女の

眼を瞋らかしてとわりをにらむれば己が気色のうとましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如

し、此等の事は偏に国主の御尋ねなき故なり、又何なれば御尋ねなきぞと申すに此の国の人人余り科多くして一

定今生には他国に責められ後生には無間地獄に堕つべき悪業の定まりたるが故なりと、

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経文歴歴と候いしかば信じ進らせて候、此の事は各各設い我等が如くなる云うにかひなき者共を責めおどし或は

所を追わせ給い候ともよも終には只は候はじ、此の御房の御心をば設い天照太神正八幡もよも随へさせ給ひ候は

じ、まして凡夫をや、されば度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐すと承り候と加様のすぢに申し給う

べし。

 さて其の法師物申さば取り返してさて申しつる事は僻事かと返して釈迦仏は親なり師なり主なりと申す文法華

経には候かと問うて有りと申さばさて阿弥陀仏は御房の親主師と申す経文は候かと責めて無しと云わんずるか又

有りと云はんずるか若しさる経文有りと申さば御房の父は二人かと責め給へ、又無しといはばさては御房は親を

ば捨てて何に他人をもてなすぞと責め給へ、其の上法華経は他経には似させ給はねばこそとて四十余年等の文を

引かるべし、即往安楽の文にかからばさて此れには先ずつまり給へる事は承伏かと責めてそれもとて又申すべし

、構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みてあやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡と

せよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ是こ

そ勢多を渡せし所よ名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方

の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし、地頭のもとに召さるる事あらば先は此の

趣を能く能く申さるべく候、恐恐謹言。

=建治三年丁丑八月四日                  日蓮花押

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