伯耆殿等御返事

伯耆殿等御返事   /弘安二年十月十二日  五十八歳御作

 大体此の趣を以て書き上ぐ可きか、但し熱原の百姓等安堵せしめば日秀等別に問注有る可からざるか、大進房

弥藤次入道等の狼藉の事に至つては源は行智の勧めに依りて殺害刄傷する所なり、若し又起請文に及ぶ可き云云

の事之を申さば全く書く可からず、其の故は人に殺害刄傷せられたる上重ねて起請文を書き失を守るは古今未會

有の沙汰なり、其の上行智の所行書かしむる如くならば身を容るる処なく行う可きの罪方無きか、穴賢穴賢、此

の旨を存じ問注の時強強と之を申さば定めて上聞に及ぶ可きか、又行智証人立て申さば彼等の人人行智と同意し

て百姓等が田畠数十苅り取る由之を申せ、若し又証文を出さば謀書の由之を申せ、事事証人の起請文を用ゆべか

らず、但し現証の殺害刄傷而已、若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず候、恐恐。

=  弘安二年十月十二日        日  蓮 在 御 判

%  伯 耆 殿

% 日 秀

% 日 弁 等 下

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