高橋殿御返事

高橋殿御返事    /建治元年七月  五十四歳御作

 瓜一篭ささげひげこえだまめねいもかうのうり給び候い畢んぬ、付法蔵経と申す経にはいさごのもちゐを仏に

供養しまいらせしわらは百年と申せしに一閻浮提の四分が一の王となる所謂阿育大王これなり、法華経の法師品

には而於一劫中と申して一劫が間釈迦仏を種種に供養せる人の功徳と末代の法華経の行者を須臾も供養せる功徳

とたくらべ候に其福復彼に過ぐと申して法華経の行者を供養する功徳すぐれたり、これを妙楽大師釈して云く「

供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と云云、されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば仏にならせ給

はん事疑いなし。

 其の上女人の御身として尼とならせ給いて候なりいよいよ申すに及ばず但しさだめて念仏者にてやをはすらん

、たうじの念仏者持斎は国をほろぼし他国の難をまねくものにて候、日本国の人人は一人もなく日蓮がかたきと

なり候いぬ、梵王帝釈日月四天のせめをかほりてたうじのゆきつしまのやうになり候はんずるにいかがせさせ給

うべきいかがせさせ給うべき、なによりも入道殿の御所労なげき入って候、しばらくいきさせ給いて法華経を謗

ずる世の中御覧あれと候へ、日本国の人人は大体はいけどりにせられ候はんずるなり、日蓮を二度までながし法

華経の五の巻をもてかうべを打ち候いしはこり候はんずらむ。

= 七月二十六日  日  蓮 花 押

   御返事

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