蒙古使御書

蒙古使御書   /建治元年 五十四歳御作

+                      与西山高橋入道

 鎌倉より事故なく御下りの由承り候いてうれしさ申す計りなし、又蒙古の人の頚を刎られ候事承り候日本国の

敵にて候念仏真言禅律等の法師は切られずして科なき蒙古の使の頚を刎られ候ける事こそ不便に候へ子細を知ざ

る人は勘へあてて候をおごりて云うと思ふべし此の二十余年の間私には昼夜に弟子等に歎き申し公には度度申せ

し事是なり一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり最勝王経に云く「害の中の極めて重きは国位を

失うに過ぎたること無し」等云云、文の心は一切の悪の中に国王と成りて政悪くして我が国を他国に破らるるが

第一の悪にて候と説れて候又金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するによるが故に乃至他方の怨賊来りて

国人喪乱に遇う」等云云、文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科にあつれば必ず其の国他国に破らるると云

う文なり、法華経第五に云く「世に恭敬せらるるを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云、

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文の心は法華経の敵の相貌を説きて候に二百五十戒を堅く持ち迦葉舎利弗の如くなる人を国主これを尊みて法華

経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。

 夫れ大事の法門と申すは別に候はず、時に当て我が為め国の為め大事なる事を少しも勘へたがへざるが智者に

ては候なり、仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし、設い仏に

あらねども竜樹天親天台伝教なんど申せし聖人賢人等は仏程こそなかりしかども三世の事を粗知しめされて候し

かば名をも未来まで流されて候き、所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず九山八海も我が身に備わりて日月衆

星も己心にあり、然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず嬰児の水火を怖れざるが如し、外典の外道

内典の小乗権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に

勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ、法門多多なれば止め候い畢んぬ。

 鎌倉より御下りそうそうの御隙に使者申す計りなし、其の上種種の物送り給候事悦び入つて候、日本は皆人の

歎き候に日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ、国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども国のために責られ

候いし事は天も知しめして候へば後生は必ずたすかりなんと悦び候に御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて

候へ、此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし、北条六郎殿のやう

に筑紫にや御坐なん、是は各各の御心のさからせ給うて候なり、人の科をあてるにはあらず、又一には法華経の

御故にたすからせ給いて候いぬるかゆゆしき御僻事なり、是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども人

聞つつましく候いてとどめ候い畢んぬ。

  乃  時    日  蓮 花 押

% 西山殿御返事

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