宝軽法重事 |
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宝軽法重事 /弘安二年五月 五十八歳御作
+ 与西山入道 笋百本又二十本追給い畢んぬ、妙法蓮華経第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及 び大菩薩辟支仏阿羅漢に供養せん、是の人の所得の功徳も此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多 きには如かじ」云云、文句の十に「七宝を四聖に奉るは一偈を持つに如かずと云うは法は是れ聖の師なり能生能 養能成能栄法に過ぎたるは莫し故に人は軽く法は重きなり」云云、記の十に云く「父母必ず四の護を以て子を護 るが如し、今発心は法に由るを生と為し始終随逐するを養と為し極果を満ぜしむるを成と為し能く法界に応ずる を栄と為す、四つ同じからずと雖も法を以て本と為す」云云、 P1475 経並に天台妙楽の心は一切衆生を供養せんと阿羅漢を供養せんと乃至一切の仏を尽して七宝の財を三千大千世界 にもりみてて供養せんよりは法華経を一偈或は受持し或は護持せんはすぐれたりと云云経に云く「此の法華経の 乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かず」天台云く「人は軽く法は重きなり」妙楽云く「四つ同じ からずと雖も法を以て本と為す」云云、九界の一切衆生を仏に相対して此れをはかるに一切衆生のふくは一毛の かろく仏の御ふくは大山のをもきがごとし、一切の仏の御ふくは梵天三銖の衣のかろきがごとし、法華経の一字 の御ふくの重き事は大地のをもきがごとし、人軽しと申すは仏を人と申す法重しと申すは法華経なり夫れ法華已 前の諸経並に諸論は仏の功徳をほめて候仏のごとし、此の法華経は経の功徳をほめたり仏の父母のごとし、華厳 経大日経等の法華経に劣る事は一毛と大山と三銖と大地とのごとし、乃至法華経の最下の行者と華厳真言の最上 の僧とくらぶれば帝釈とz猴と師子と兎との勝劣なり、而るをたみが王とののしればかならず命となる、諸経の 行者が法華経の行者に勝れたりと申せば必ず国もほろび地獄へ入り候なり。 但かたきのなき時はいつわりをろかにて候、譬へば将門貞任も貞盛頼義がなかりし時は国をしり妻子安穏なり 云云、敵なき時はつゆも空へのぼり雨も地に下り逆風の時は雨も空へあがり日出の時はつゆも地にをちぬ、され ば華厳等の六宗は伝教なかりし時はつゆのごとし真言も又かくのごとし、強敵出現して法華経をもつてつよくせ むるならば叡山の座主東寺の小室等も日輪に露のあへるがごとしとをぼしめすべし、法華経は仏滅後二千二百余 年にいまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし、天台伝教もしろしめさざるにはあらず時も来らず機もなか りしかばかききわめずしてをわらせ給へり、日蓮が弟子とならむ人人はやすくしりぬべし。 一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず、いかでかあらわれさせ給わ ざるべき、しげければとどめ候。 P1476 たけのこは百二十本法華経は二千余年にあらわれ候ぬ、布施はかろけれども志重き故なり、当時はくわんのう と申し大宮づくりと申しかたがた民のいとまなし、御心ざしふかければ法もあらわれ候にや、恐恐謹言。 = 五月十一日 日 蓮 花 押 % 西山殿御返事 |