西山殿御返事 |
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西山殿御返事 /弘安四年 六十歳御作
あまざけ一をけ、やまのいもところせうせう給了んぬ、梵網経と申す経には一紙一草と申してかみ一枚くさひ とつ大論と申すろんにはつちのもちゐを仏にくやうせるもの閻浮提の王となるよしをとかれて候。 これはそれにはにるべくもなしそのうへをとこにもすぎわかれたのむかたもなきあまのするがの国西山と申す ところより甲斐国のはきゐ(波木井)の山の中にをくられたり、人にすてられたるひじりの寒さにせめられてい かに心ぐるしかるらんとをもひやらせ給いてをくられたるか、父母にをくれしよりこのかたかかるねんごろの事 にあひて候事こそ候はね、せめての御心ざしに給うかとおぼえてなみだもかきあへ候はぬぞ、日蓮はわるき者に て候へども法華経はいかでかおろそかにおわすべき、ふくろはくさけれどもつつめる金はきよし池はきたなけれ どもはちすしやうじやうなり、日蓮は日本第一のえせものなり、法華経は一切経にすぐれ給へる経なり、心あら ん人金をとらんとおぼさばふくろをすつる事なかれ、蓮をあひせば池をにくむ事なかれ、わるくて仏になりたら ば法華経の力あらはるべし、よつて臨終わるくば法華経の名をりなん、さるにては日蓮はわるくてもわるかるべ しわるかるべし、恐恐謹言。 % 月 日 御 返 事 P1477 |