妙心尼御前御返事

妙心尼御前御返事  /弘安元年八月 五十七歳御作

 あわしかき(泡消柿)二篭なすび一こ給い候い了んぬ、入道殿の御所労の事、唐土に黄帝扁鵲と申せしくすし

あり天竺に持水耆婆と申せしくすしあり、これらはその世のたから末代のくすしの師なり、仏と申せし人はこれ

にはにるべくもなきいみじきくすしなり、この仏不死の薬をとかせ給へり今の妙法蓮華経の五字是なり、しかも

この五字をば閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ。

 入道殿は閻浮提の内日本国の人なり、しかも身に病をうけられて候病之良薬の経文顕然なり、其の上蓮華経は

第一の薬なり、はるり(波瑠璃)王と申せし悪王仏のしたしき女人五百余人を殺して候いしに仏阿難を霊山につ

かはして青蓮華をとりよせて身にふれさせ給いしかばよみかへりて七日ありて利天に生れにき、蓮華と申す花

はかかるいみじき徳ある花にて候へば仏妙法にたとへ給へり、又人の死ぬる事はやまひにはよらず当時のゆきつ

しま(壱岐対馬)のものどもは病なけれどもみなみなむこ人に一時にうちころされぬ病あれば死ぬべしといふ事

不定なり、

P1480

又このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病により

て道心はをこり候なり、又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ今の日

本国の人は一人もなく極大重病あり所謂大謗法の重病なり今の禅宗念仏宗律宗真言師なりこれらはあまりに病お

もきゆへに我が身にもおぼへず人もしらぬ病なりこの病のこうずるゆへに四海のつわものただいま来りなば王臣

万民みなしづみなんこれをいきてみ候はんまなここそあたあたしく候へ。

 入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども過去の宿習のゆへのもよをしによりてこのな

が病にしづみ日日夜夜に道心ひまなし、今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候いぬらん、謗法の大悪は

又法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給うべしただいまに霊山にまいらせ給いなば日いでて十方をみるがごとくう

れしく、とくしにぬるものかなとうちよろこび給い候はんずらん、中有の道にいかなる事もいできたり候はば日

蓮がでしなりとなのらせ給へ、わずかの日本国なれどもさがみ殿のうちのものと申すをばさうなくおそるる事候

、日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり、其の名は十方の浄土にき

こえぬ、定めて天地もしりぬらん日蓮が弟子となのらせ給はばいかなる悪鬼なりともよもしらぬよしは申さじと

おぼすべし、さては度度の御心ざし申すばかりなし、恐恐謹言。

  さるは木をたのむ魚は水をたのむ女人はおとこをたのむわかれのをしきゆへにかみをそりそでをすみに

そめぬ、いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給うべきとたのませ給えたのま せ

給え。

= 八月十六日 日  蓮 花 押

%  妙心尼御前御返事

P1481