時光御返事

時光御返事/弘安元年七月八日 五十七歳御作

+            与南条時光

 むぎのしろきこめ一駄はじかみ送り給び畢んぬ。

こくぼんわう(斛飯王)の太子あなりち(阿那律)と申す人は家にましましし時は俗性は月氏国の本主てんりん

聖王のすえ師子けう王のまご浄飯王のおひこくぼん王には太子なり、天下にいやしからざる上家中には一日の間

一万二千人の人出入す、六千人はたからをかりき六千人はかへりなす、かかる富人にておはする上天眼第一の人

法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給う。

 これは過去の行はいかなる大善ぞとたづぬるにむかしれうしあり山のけだものをとりてすぎけるが又ひえをつ

くり食とするほどに飢えたる世なればものもなし、ただひえのはん一ありけるをくひければりだと申す辟支仏の

聖人来たりて云く我七日の間食なし汝が食者えさせよとこわせ給いしかばきたなき俗のごきに入れてけがしはじ

めて候と申しければただえさせよ今食せずば死ぬべしと云う、おそれながらまいらせつ、此の聖人まいり給いし

がただひえ一つびをとりのこしてれうしにかへし給いき、ひえへんじていのことなる、

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いのこ変じて金となる金変じて死人となる死人変じて又金人となる指をぬいて売れば本のごとし、かくのごとく

九十一劫長者に生れ今はあなりち(阿那律)と申して仏の御弟子なり、わづかのひえなれども飢えたる国に智者

の御いのちをつぐゆへにめでたきほうをう。

 迦葉尊者と申せし人は仏の御弟子の中には第一にたとき人なり、此の人の家をたづぬれば摩かだい国の尼くり

だ(拘律佗)長者の子なり、宅にたたみ千でうあり一でうはあつさ七尺下品のたたみは金千両なり、からすき九

百九十九一のからすきは金千両、金三百四十石入れたるくら六十かかる大長者なり、めは又身は金色にして十六

里をてらす、日本国の衣通姫にもすぎ漢土のりふじん(李夫人)にもこえたり、此の夫婦道心を発して仏の御弟

子となれり、法華経にては光明如来といはれさせ給う、此の二人の人人の過去をたづねれば麦飯を辟支仏に供養

せしゆへに迦葉尊者と生れ、金のぜに一枚を仏師にあつらへて毘婆尸仏の像の御はくにひきし貧人は此の人のめ

となれり。

 今日蓮は聖人にはあらざれども法華経に御名をたてり、国主ににくまりて我が身をせく上弟子かよう人をも或

はのり或はうち或は所領をとり或はところをおふ、かかる国主の内にある人人なればたとひ心ざしあるらん人人

もとふ事なし、此の事事ふりぬ、なかにも今年は疫病と申し飢渇と申しとひくる人人もすくなし、たとひやまひ

なくとも飢えて死なん事うたがひなかるべきに麦の御とぶらい金にもすぎ珠にもこえたり、彼のりだがひゑは変

じて金人となる、此の時光が麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらん、此の法華経の文字は釈迦仏となり給い時

光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へかけり給へ、かへりて時光が身をおほひはぐくみ給へ、恐

恐謹言。

=弘安元年七月八日                      日蓮花押

     上野殿御返事

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