法華証明抄

法華証明抄

            法華経の行者  日蓮花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば法華経の御鏡にはいかんがうかべさせ給うと拝見つかま

つり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりとたしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を一仏な

れば末代の凡夫はうたがいやせんずらんとて、此より東方にはるかの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の

多宝仏わざわざと行幸ならせ給いて釈迦仏にをり向いまいらせて妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき、此

の上はなにの不審か残るべきなれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん、十方の諸仏

を召しあつめさせ給いて広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごとなきひろくながく大なる御舌を須弥

山のごとく虚空に立てならべ給いし事はをびただしかりし事なり、かう候へば末代の凡夫の身として法華経の一

字二字を信じまいらせ候へば十方の仏の御舌を持つ物ぞかし、いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと

悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りを

ば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又

此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」

等云云、地にたうれたる人はかへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へどもか

へりて法華経の御手にかかりて仏になるとことわられて候。

 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり、

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其の故は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわ

づらひをなし結句は命に及ぶ人人もあり信じがたき上はは故上野は信じまいらせ候いぬ、又此の者敵子となりて

人もすすめぬに心中より信じまいらせて上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて

候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なりすこ

しもをどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか又大火をいだくか、三世十方の

仏の大怨敵となるか、あなかしこあなかしこ、此の人のやまいを忽になをしてかへりてまほりとなりて鬼道の大

苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ後生には大無間地獄に堕つべきか、永くとどめ

よとどめよ、日蓮が言をいやしみて後悔あるべし後悔あるべし。

= 弘安五年二月廿八日

%  下伯耆房