日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
<1.前 P0399 2.次>

権教の大小の聖人をば諸鳥に譬へ法華の凡夫のはかなきを}の声の衆鳥に勝るるに譬う、妙楽大師重ねて釈して云く「恐らくば人謬りて解せる者初心の功徳の大なることを測らずして功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」文、末代の愚者は法華経は深理にしていみじけれども我等が下機に叶わずと言つて法を挙げ機を下して退する者を釈する文なり。
 又妙楽大師末代に此の法の捨てられん事を歎いて云く「此の円頓を聞きて崇重せざる者は良に近代に大乗を習える者の雑濫するに由るが故なり、況や像末に情澆く信心寡薄に円頓の教法蔵に溢れ函に盈れども暫くも思惟せず便ち目を瞑ぐに至る徒に生じ徒に死す一に何ぞ痛ましきや有る人云く聞いて行ぜずんば汝に於て何ぞ預らん此れは未だ深く久遠の益を知らず、善住天子経の如き文殊舎利弗に告ぐ法を聞き謗を生じて地獄に堕つるは恒沙の仏を供養する者に勝れたり地獄に堕つと雖も地獄より出でて還つて法を聞くことを得ると、此れは仏を供し法を聞かざる者を以て校量と為り聞いて謗を生ずる尚遠種と為す況や聞いて思惟し勤めて修習せんをや」と、又云く「一句も神に染ぬれば咸く彼岸を資く思惟修習永く舟航に用いたり随喜見聞恒に主伴と為る、若は取若は捨耳に経て縁と成り或は順或は違終に斯れに因つて脱すと」文、私に云く若取若捨或順或違の文は肝に銘ずるなり。
 法華翻経の後記に云く[釈僧肇記]「什[羅什三蔵なり]姚興王に対して曰く予昔天竺国に在りし時メく五竺に遊びて大乗を尋討し大師須梨耶蘇摩に従つて理味を餐受するに頂を摩でて此の経を属累して言く、仏日西に隠れ遺光東北を照らす茲の典東北諸国に有縁なり汝慎んで伝弘せよ」と文、私に云く天竺よりは此の日本は東北の州なり、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純熟朝野遠近同じく一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期す唯一師等あつて若し信受せず権とや為ん実とや為ん権為らば責む可し」浄名に云く「衆の魔事を覚知して其行に随わず善力方便を以て意に随つて度すと実為らば憐む可し」此経に云く「当来世の悪人は仏説の一乗を聞いて迷惑して信受せず法を破して悪道に堕つ」文。


<1.前 P0399 2.次>