日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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」文、法華経とは別の事無し十界の因果は爾前の経に明す今は十界の因果互具をおきてたる計りなり、爾前の経意は菩薩をば仏に成るべし声聞は仏に成るまじなんど説けば菩薩は悦び声聞はなげき人天等はおもひもかけずなんとある経もあり、或は二乗は見思を断じて六道を出でんと念い菩薩はわざと煩悩を断ぜず六道に生れて衆生を利益せんと念ふ、或は菩薩の頓悟成仏を見或は菩薩の多倶低劫の修行を見或は凡夫往生の旨を説けば菩薩声聞の為には有らずと見て人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏凡夫の往生は我が往生聖人の見思断は我等凡夫の見思断とも知らず四十二年をば過ぎしなり。
 然るに今経にして十界互具を談ずる時声聞の自調自度の身に菩薩界を具すれば六度万行も修せず多倶低劫も経ぬ声聞が諸の菩薩のからくして修したりし無量無辺の難行道が声聞に具する間をもはざる外に声聞が菩薩と云われ人をせむる獄卒慳貪なる凡夫も亦菩薩と云はる、仏も又因位に居して菩薩界に摂せられ妙覚ながら等覚なり、薬草喩品に声聞を説いて云く「汝等が所行は是れ菩薩の道なり」と、又我等六度をも行ぜざるが六度満足の菩薩なる文経に云く「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前しなん」と、我等一戒をも受けざるが持戒の者と云わるる文経に云く「是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」文。
 問うて云く諸経にも悪人が仏に成る華厳経の調達の授記普超経の闍王の授記大集経の婆籔天子の授記又女人が仏に成る胎経の釈女の成仏畜生が仏に成る阿含経の鴿雀の授記二乗が仏に成る方等だらに経首楞厳経等なり、菩薩の成仏は華厳経等具縛の凡夫の往生は観経の下品下生等女人の女身を転ずるは雙観経の四十八願の中の三十五の願此等は法華経の二乗竜女提婆菩薩の授記に何なるかわりめかある、又設いかわりめはありとも諸経にても成仏はうたがひなし如何、答う予の習い伝うる処の法門此の答に顕るべし此の答に法華経の諸経に超過し又諸経の成仏を許し許さぬは聞うべし秘蔵の故に顕露に書さず。


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