<前
P0094 次>建保七年閏二月二十二日之を行う。
頃年以来無慚の徒・不法の侶・如如の戒行を守らず処処の厳制を恐れず恣に念仏の別宗を建て猥りに衆僧の勤学を謗ず、しかのみならず内には妄執を凝らして仏意に乖き外には哀音を引いて人心を蕩かす遠近併ら専修の一行に帰し緇素殆んど顕密の両教を褊す仏法の衰滅而も斯に由る自由の奸悪誠に禁じても余り有り。
是を以て教雅法師に於ては本源を温ねて遠流し此の外同行の余党等慥かに其の行を帝土の中に停廃し悉く其の身を洛陽の外に追郤せよ但し或は自行の為或は化他の為に至心専念・如法修行の輩に於ては制の限りに在らず。
天福二年六月晦日 藤原中納言権弁奉る
[天福二年文暦と改む四条院の御宇後堀河院の太子なり、武蔵前司入道殿の御時。] 祇園の執行に仰せ付けらるる山門の下知状。
大衆の僉議に云く専修念仏者・天下に繁昌す是れ則ち近年山門無沙汰の致す所なり、件の族は八宗仏法の怨敵なり円頓行者の順魔なり、先ず京都往返の類・在家称名の所に於ては例に任せ犬神人に仰せて宜しく停止せしむべし云云、者れば大衆僉議の旨斯くの如し早く先例に任せ犬神人等に仰せ含めて専修念仏者を停止せしめ給う可し云云、恐恐謹言。
延応二年五月十四日 公文勾当審賢
[四条院の御宇武蔵前司殿の御時。]
謹上 祇園の執行法眼御房
逐つて申す、去る夜・大衆僉議して先ず此の異名に於て殊に犬神人に付けて之を責む可きの由仰せ含めぬ仍つ
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