日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

八宗違目抄

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           小乗経には仏性の有無を論ぜず。

 衆生の仏性     華厳方等般若大日経等には衆生本より正因仏性有つて了因縁因無し。

           法華経には本より三因仏性有り。

 文句の十に云く「正因仏性[法身の性なり]は本当に通亙す、縁了仏性は種子本有なり今に適むるに非ざるなり」

           今此の三界は皆是れ我が有なり    主国王世尊なり

 法華経第二に云く  其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり     親父なり

           而も今此の処は諸の患難多し

           唯我一人のみ能く救護をなす       導師なり

                  主 国王 報身如来

 寿量品に云く我も亦為世の父文   師    応身如来

                  親    法身如来

 五百問論に云く「若し父の寿の遠を知らずして復父統の邦に迷わば徒らに才能と謂うとも全く人の子に非ず」

又云く「但恐らくは才一国に当るとも父母の年を識らざらんや」

 古今仏道論衡[道宣の作]に云く「三皇已前は未だ文字有らず但其の母を識つて其の父を識らず禽獣に同じ[鳥等なり]」等云云、[慧遠法師周の武帝を詰る語なり]

 倶舎宗

 成実宗    一向に釈尊を以て本尊と為す爾りと雖も但応身に限る。

 律宗

 華厳宗

 三論宗    釈尊を以て本尊と為すと雖も法身は無始無終報身は有始無終応身は 法相宗    有始有終なり。

         一義に云く大日如来は釈迦の法身なり。

 真言宗    一向に大日如来を以て本尊と為す二義有り

            一義に云く大日如来は釈迦の法身には非ず。


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