日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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開目抄下

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我が分身とはとかれず、これ寿量品の遠序なり、始成四十余年の釈尊が一劫十劫等已前の諸仏を集めて分身ととかるさすが平等意趣にもにずをびただしくをどろかし、又始成の仏ならば所化十方に充満すべからざれば分身の徳は備わりたりとも示現して益なし、天台云く「分身既に多し当に知るべし成仏の久しきことを」等云云、大会のをどろきし意をかかれたり。

 其の上に地涌千界の大菩薩大地より出来せり釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢文殊等にもにるべくもなし、華厳方等般若法華経の宝塔品に来集する大菩薩大日経等の金剛薩・等の十六の大菩薩なんども此の菩薩に対当すれば・猴の群る中に帝釈の来り給うが如し、山人に月卿等のまじはるにことならず、補処の弥勒すら猶迷惑せり何に況や其の已下をや、此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします所謂上行無辺行浄行安立行なり、此の四人は虚空霊山の諸菩薩等眼もあはせ心もをよばず、華厳経の四菩薩大日経の四菩薩金剛頂経の十六大菩薩等も此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を見るが如く海人が皇帝に向い奉るが如し、大公等の四聖の衆中にありしににたり商山の四皓が恵帝に仕えしにことならず、巍巍堂堂として尊高なり、釈迦多宝十方の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし、弥勒菩薩心に念言すらく、我は仏の太子の御時より三十成道今の霊山まで四十二年が間此の界の菩薩十方世界より来集せし諸大菩薩皆しりたり、又十方の浄穢土に或は御使い或は我と遊戯して其の国国に大菩薩を見聞せり、此の大菩薩の御師なんどはいかなる仏にてやあるらん、よも此の釈迦多宝十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそをはすらめ、雨の猛を見て竜の大なる事をしり華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし、此等の大菩薩の来る国又誰と申す仏にあいたてまつりいかなる大法をか習修し給うらんと疑いし、あまりの不審さに音をもいだすべくもなけれども仏力にやありけん、弥勒菩薩疑つて云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩は昔より未だ曾て見ざる所なり


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