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P0298 次>此れ等は正法一千年の内なり、像法に入つて五百年仏滅後一千五百年と申せし時漢土に一人の智人あり始は智・後には智者大師とがうす、法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮して十流となりぬ所謂南三北七なり十流ありしかども一流をもて最とせり、所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり、此の人は一代の仏教を五にわかつ其の五の中に三経をえらびいだす、所謂華厳経涅槃経法華経なり一切経の中には華厳経第一大王のごとし涅槃経第二摂政関白のごとし第三法華経は公卿等のごとし此れより已下は万民のごとし、此の人は本より智慧かしこき上慧観慧厳僧柔慧次なんど申せし大智者より習ひ伝え給るのみならず南北の諸師の義をせめやぶり山林にまじわりて法華経涅槃経華厳経の功をつもりし上梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て光宅寺となづけて此の法師をあがめ給う、法華経をかうぜしかば天より花ふること在世のごとし、天鑒五年に大旱魃ありしかば此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに薬草喩品の其雨普等四方倶下と申す二句を講ぜさせ給いし時天より甘雨下たりしかば天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて諸天の帝釈につかえ万民の国王ををそるるがごとく我とつかへ給いし上或人夢く此人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり、法華経の疏四巻あり此の疏に云く「此経未だ碩然ならず」亦云く「異の方便」等云云、正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候、此の人の御義仏意に相ひ叶ひ給いければこそ天より花も下り雨もふり候けらめ、かかるいみじき事にて候しかば漢土の人人さては法華経は華厳経涅槃経には劣にてこそあるなれと思いし上新羅百済高麗日本まで此の疏ひろまりて大体一同の義にて候しに法雲法師御死去ありていくばくならざるに梁の末陳の始に智・法師と申す小僧出来せり、南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども師の義も不審にありけるかのゆへに一切経蔵に入つて度度御らんありしに
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