日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

諸宗問答抄

<前 P0377 次>


 次に絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、皆法華の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間念仏戒真言禅とて別の名言を呼び出す可き道理會て無きなり、随つて釈に云く「諸水入海同一鹹味諸智入如実智失本名字」等と釈して本の名字を一言も呼び顕す可らずと釈せられて候なり、世間の人天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏諸菩薩の名言を唱うるも皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、然れば何の水と呼びたりとてもただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ、各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ只大海の一水と思うて何れをも心に任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり。

 今云う此の義は与えて云う時はさも有る可きかと覚れども奪つて云う時は随分堕地獄の義にて有るなり、其の故は縦ひ一人此くの如く意得何れをも持ち唱るとても万人此の心根を得ざる時は只例の偏見偏情にて持ち唱えれば一人成仏するとも万人は皆地獄に堕す可き邪見の悪義なり、爾前に立てる所の法門の名言と其の法門の内に談ずる所の道理の所詮とは皆是偏見偏情によりて入邪見稠林若有若無等の権教なり、然れば此等の名言を以て持ち唱へ此等の所詮の理を観ずれば偏に心得たるも心得ざるも皆大地獄に堕つべし、心得たりとて唱へ持ちたらん者は牛蹄に大海を納めたる者の如し是僻見の者なり、何ぞ三悪道を免がれん又心得ざる者の唱へ持たんは本迷惑の者なれば邪見権教の執心によつて無間大城に入らん事疑い無き者なり、開会の後も・教とて嫌い捨てし悪法をば名言をも其の所詮の極理をも唱へ持つて交ゆべからずと見えて候弘決に云く「相待絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」云云、


<前 P0377 次>


満月城岡山ポケット版御書