日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

持妙法華問答抄

<前 P0463 次>


答えて云く法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云うは徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、此の事を伝教大師破し給うに「現在の・食者は偽章数巻を作りて、法を謗じ人を謗ず何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば徳一は其の語に責められて舌八にさけてうせ給いき、未顕真実とは二乗の為なりと云はば最も理を得たり、其の故は如来布教の元旨は元より二乗の為なり一代の化儀三周の善巧併ら二乗を正意とし給へり、されば華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからずと嫌い、方等には高峯に蓮の生ざるように二乗は仏の種をいりたりと云はれ、般若には五逆罪の者は仏になるべし二乗は叶うべからずと捨てらる、かかるあさましき捨者の仏になるを以て如来の本意とし法華経の規模とす、之に依つて天台の云く「華厳大品も之を治すること能わず唯法華のみ有りて能く無学をして還つて善根を生じ仏道を成ずることを得せしむ所以に妙と称す、又闡提は心有り猶作仏す可し二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」と云云、此の文の心は委く申すに及ばず誠に知んぬ華厳方等大品等の法薬も二乗の重病をばいやさず又三悪道の罪人をも菩薩ぞと爾前の経にはゆるせども二乗をばゆるさず、之に依つて妙楽大師は「余趣を実に会すること諸経に或は有れども二乗は全く無し故に菩薩に合して二乗に対し難きに従つて説く」と釈し給えり、しかのみならず二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり、修羅が大海を渡らんをば是れ難しとやせん、嬰児の力士を投ん何ぞたやすしとせん、然らば則ち仏性の種あるものは仏になるべしと爾前にも説けども未だ焦種の者作仏すべしとは説かず、かかる重病をたやすくいやすは独り法華の良薬なり、只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。

 問うて云く一を以て万を察する事なればあらあら法華のいわれを聞くに耳目始めて明かなり、


<前 P0463 次>


満月城岡山ポケット版御書