日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

当体義抄

<前 P0516 次>


蓮華の上に坐すと言わば此は妙報の国土を以て蓮華と為るなり、又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給う時大集経の我今仏の蓮華を敬礼すと云う文と法華論の今の文とを引証して釈して云く「若し大集に依れば行法の因果を蓮華と為す菩薩上に処すれば即ち是れ因の華なり仏の蓮華を礼すれば即ち是れ果の華なり、若し法華論に依れば依報の国土を以て蓮華と為す復菩薩蓮華の行を修するに由つて報蓮華の国土を得当に知るべし依正因果悉く是れ蓮華の法なり、何ぞ譬をもつて顕すことをもちいん鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に世の華を挙げて譬と為す亦何の妨げかあるべき」文、又云く若し蓮華に非んば何に由つて遍く上来の諸法を喩えん法譬雙べ弁ずる故に妙法蓮華と称するなり、次に竜樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法譬並びに挙ぐるなり」文、伝教大師が天親竜樹の二論の文を釈して云く「論の文但妙法蓮華経と名くるに二種の義あり唯蓮華に二種の義有りと謂うには非ず、凡そ法喩とは相い似たるを好しと為す若し相い似ずんば何を以てか他を解せしめん、是の故に釈論に法喩並び挙ぐ一心の妙法蓮華は因華果台倶時に増長す此の義解し難し喩を仮れば解し易し此の理教を詮ずるを名けて妙法蓮華経と為す」文、此等の論文釈義分明なり文に在つて見る可し包蔵せざるが故に合説の義極成せり、凡そ法華経の意は譬喩即法体法体即譬喩なり、故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩なり此の七喩は即ち法体法体は即ち譬喩なり、故に譬喩の外に法体無く法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり事相即理体なり理体即事相なり故に法譬一体とは云うなり、是を以て論文山家の釈に皆蓮華を釈するには法譬並べ挙ぐ」等云云、釈の意分明なる故重ねて云わず。

 門う如来の在世に誰か当体の蓮華を証得せるや、答う四味三教の時は三乗五乗七方便九法界帯権の円の菩薩並びに教主乃至法華迹門の教主総じて本門寿量の教主を除くの外は本門の当体蓮華の名をも聞かず何に況んや証得せんをや、開三顕一の無上菩提の蓮華尚四十余年には之を顕さず、故に無量義経に


<前 P0516 次>


満月城岡山ポケット版御書