日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

立正観抄

<前 P0529 次>


設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に竜樹天台伝教元よりの御約束なるが故なり、其上天台の釈の意は迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は観心修行を詮と為るに迹を尋ぬれば迹広し本を尋ぬれば本高うして極む可からず、故に末学機に叶い難し但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり、然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや、如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか、悲しいかな当世天台宗の学者は念仏真言禅宗等に同意するが故に天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり、若し止観を法華経に勝ると云わば種種の過之有り止観は天台の道場所得の己証なり、法華経は釈尊の道場所得の大法なり[是一]釈尊は妙覚果満の仏なり天台は住前未証なれば名字観行相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり[是二]法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり来集の分身は広長舌を大梵天に付く皆是真実の大白法なり[是四]止観は天台の説法なり是くの如き等の種種の相違之有れども仍お之を略するなり、又一つの問答に云く所被の機上機なる故に勝ると云わば実を捨てて権を取れ天台云く「教弥弥権なれば位弥弥高し」と釈し給う故なり所被の機下劣なる故に劣ると云わば権を捨てて実を取れ、天台の釈には教弥弥実なれば位弥弥下しと云う故なり、然而して止観は上機の為に之を説き法華は下機の為に之を説くと云わば止観は法華に劣れる故に機を高く説くと聞えたり実にさもや有るらん、天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べたもうと雖も時至らざるが故に妙法の名字を替えて止観と号す迹化の衆なるが故に本化の付属を弘め給わず正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり、故に知んぬ天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し、本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり、止観法華は全く体同と云わん尚人師の釈を以て仏説に同ずる失甚重なり、


<前 P0529 次>


満月城岡山ポケット版御書