日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

立正観抄

<前 P0533 次>


 天台伝教の所伝は法華経は禅真言より劣れりと習う故に達磨の邪義真言の妄語と打ち成つて権教にも似ず実教にも似ず二途に摂せざるなり、故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出して過無き天台に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。

 夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来目を開いて妙法を思えば随縁真如なり目を閉じて妙法を思えば不変真如なり此の両種の真如は只一言の妙法に有り我妙法を唱うる時万法茲に達し一代の修多羅一言に含す、所詮迹門を尋ぬれば迹広く本門を尋ねぬれば本高し如かじ己心の妙法を観ぜんにはと思食されしなり、当世の学者此の意を得ざるが故に天台己証の妙法を習い失いて止観は法華経に勝り禅宗は止観に勝れたりと思いて法華経を捨てて止観に付き止観を捨てて禅宗に付くなり、禅宗の一門云く松に藤懸る松枯れ藤枯れて後如何上らずして一枝なんど云える天魔の語を深く信ずる故なり、修多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し各各に諍論すと雖も仏も入滅して教法の威徳も無し爰に知んぬ修多羅の仏教は月を指す指なり禅の一法のみ独妙なり之を観ずれば見性得達するなりと云う大謗法の天魔の所為を信ずる故なり、然而法華経の仏は寿命無量常住不滅の仏なり、禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり、是法住法位世間相常住の金言に背く僻見なり、禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住法と云うが故に外道の常見なり、若し与えて之を言わば仏の方便三蔵の分斉なり若し奪つて之を言わば但外道の邪法なり与は当分の義奪は法華の義なり法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云うなり、問う禅を天魔の法と云う証拠如何、答う前前に申すが如し。


<前 P0533 次>


満月城岡山ポケット版御書