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P0648 次>若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に牙歯疎き欠け醜脣平鼻手脚繚戻し眼目角・身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべし、是の故に普賢若し是の経典を受持する者を見ては当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」涅槃経の十三に云く「我爾の時に於て思惟し坐禅し無量歳を経れども亦如来出世の大乗経の名有ることを聞かず」文句の五に云く「所以は経に出でたり人の語を信ずること勿れ」同三に云く「たとい百千種の師あつて一一の師百千種の説を作すとも是れ権ならざるは無し、如来の所説有る尚復是れ権なり況や復人師をや、寧ろ権に非ざることを得んや前に出す所の如きは悉く皆権なり」
一、念仏者謗法罪を作る事
法然の選択に云く「道綽禅師聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、初めに聖道門と云うは之に就いて二有り、乃至之に准じて之を思うに応に密大及実大を存すべし、然れば則ち今真言仏心天台華厳三論法相地論摂論此等の八家の意正しく此に在り、浄土宗の学者先ず須らく此の旨を知るべし、設い先ず聖道門を学するの人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を弃てて浄土に皈すべし、善導和尚正雑二行を立て雑行を捨てて正行に皈するの文、第一に読誦雑行と云うは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外大小乗顕密の諸経に於て受持し読誦するを悉く読誦雑行と名く、乃至第三に礼拝雑行と云うは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名け、第四に称名雑行とは上の弥陀の名号を称するを除いて已外自余一切の仏菩薩等及び諸の世天等の名号を称するを悉く称名雑行と名け、第五に讃歎供養雑行と云うは上の弥陀仏を除いて已外一切諸余の仏菩薩及び諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く讃歎供養雑行と名く、乃至、此の文を見るに弥須らく雑を捨てて専を修すべし、豈百即百生の専修の正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや、
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