日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

新尼御前御返事

<前 P0905 次>


其の故は此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候いしあまたの三蔵漢土より月氏へ入り候いし人人の中にもしるしをかせ給はず、西域慈恩伝伝燈録等の書どもを開き見候へば五天竺の諸国の寺寺の本尊皆しるし尽して渡す、又漢土より日本に渡る聖人日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候、寺寺の御本尊皆かんがへ尽し日本国最初の寺元興寺四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば其の寺寺の御本尊又かくれなし、其の中に此の本尊はあへてましまさず。

 人疑つて云く経論になきかなければこそそこばくの賢者等は画像にかき奉り木像にもつくりたてまつらざるらめと云云、而れども経文は眼前なり御不審の人人は経文の有無をこそ尋ぬべけれ、前代につくりかかぬを難ぜんとをもうは僻案なり、例せば釈迦仏は悲母孝養のために・利天に隠れさせ給いたりしをば一閻浮提の一切の諸人しる事なし、但目蓮尊者一人此れをしれり此れ又仏の御力なりと云云、仏法は眼前なれども機なければ顕れず時いたらざればひろまらざる事法爾の道理なり、例せば大海の潮の時に随つて増減し上天の月の上下にみちかくるがごとし。

 今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、金色世界の文殊師利兜史多天宮の弥勒菩薩補陀落山の観世音日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士我も我もと望み給いしかども叶はず、是等は智慧いみじく才学ある人人とはひびけどもいまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、あなかしこあなかしこ我が滅度の後正法一千年像法一千年に弘通すべからず、末法の始に


<前 P0905 次>


満月城岡山ポケット版御書