<前
P0964 次>/文永十一年 五十三歳御作
けかち申すばかりなし米一合もうらずがししぬべし、此の御房たちもみなかへして但一人候べし、このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。
十二日さかわ十三日たけのした十四日くるまがへし十五日ををみや十六日なんぶ、十七日このところいまだ
さだまらずといえども、たいしはこの山中心中に叶いて候へばしばらくは候はんずらむ、結句は一人になりて日本国に流浪すべきみにて候、又たちとどまるみならばけさんに入り候べし、恐恐謹言。
= 十七日 日蓮在御判
% と き ど の
仕候なり
褒美に非ず実に器量者なり、来年正月大進阿闍梨房と越中と之を遣わし去るべく候、白小袖一つ給い候い畢んぬ、今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか、事事紙上に尽し難く候、恐恐謹言。
= 十一月三日 日蓮在御判
土木殿御返事
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