日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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常忍抄

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今日蓮粗之を勘うるに法華経の此の文を重ねて涅槃経に演べて云く「若し三法に於て異の想を修する者は当に知るべし是の輩は清浄の三帰則ち依処無く所有の禁戒皆具足せず終に声聞縁覚菩薩の果を証することを得ず」等云云、此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せるなり寿量品は木に譬え爾前迹門をば影に譬うる文なり、経文に又之有り、五時八教当分跨節大小の益は影の如し本門の法門は木の如し云云、又寿量品已前の在世の益は闇中の木の影なり過去に寿量品を聞きし者の事なり等云云、又不信は謗法に非ずと申す事、又云く不信の者地獄に堕ちずとの事、五の巻に云く「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」云云。

 総じて御心へ候へ法華経と爾前と引き向えて勝劣浅深を伴ずるに当分跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり、但し此の法門の御論談は余は承らず候彼は広学多聞の者なりはばかりはばかりみたみたと候いしかば此の方のまけなんども申しつけられなばいかんがし候べき、但し彼の法師等が彼の釈を知り候はぬはさてをき候いぬ、六十巻になしなんど申すは天のせめなり謗法の科の法華経の御使に値うて顕れ候なり、又此の沙汰の事を定めてゆへありて出来せりかしまの大田次郎兵衛大進房又本院主もいかにとや申すぞよくよくきかせ給い候へ、此れ等は経文に子細ある事なり、法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障うべきにて候、十境の中の魔境此れなり魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ又二乗の行をなす物をばあながちに怨をなして善をすすむるなり、又菩薩の行をなす物をば遮つて二乗の行をすすむ是後に純円の行を一向になす者をば兼別等に堕すなり止観の八等を御らむあるべし。


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