日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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四条金吾許御文 /弘安三年十二月

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其の上親父釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ又誕生の日をば薬師になしぬ、八幡大菩薩をば崇るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ、本地垂迹を捨つる上に此の事を申す人をばかたきとする故に力及ばせ給はずして此の神は天にのぼり給いぬるか、但し月は影を水にうかぶる濁れる水には栖ことなし、木の上草の葉なれども澄める露には移る事なればかならず国主ならずとも正直の人のかうべにはやどり給うなるべし。

 然れば百王の頂にやどらんと誓い給いしかども人王八十一代安徳天皇二代隠岐の法皇三代阿波四代佐渡五代東一条等の五人の国王の頂にはすみ給はず、諂曲の人の頂なる故なり、頼朝と義時とは臣下なれども其の頂にはやどり給ふ正直なる故か、此れを以て思うに法華経の人人は正直の法につき給ふ故に釈迦仏猶是をまほり給ふ、況や垂迹の八幡大菩薩争か是をまほり給はざるべき、浄き水なれども濁りぬれば月やどる事なし、糞水なれどもすめば影を惜み給はず、濁水は清けれども月やどらず糞水はきたなけれどもすめば影ををしまず、濁水は智者学匠の持戒なるが法華経に背くが如し、糞水は愚人の無戒なるが貪欲ふかく瞋恚強盛なれども法華経計りを無二無三に信じまいらせて有るが如し、涅槃経と申す経には法華経の得道の者を列ねて候に・・蝮蠍と申して糞虫を挙げさせ給ふ、竜樹菩薩は法華経の不思議を書き給うに・虫と申して糞虫を仏になす等云云、又涅槃経に法華経にして仏になるまじき人をあげられて候には「一闡提の人の阿羅漢の如く、大菩薩の如き」等云云、此等は濁水は浄けれども月の影を移す事なしと見えて候、されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給うとも、法華経の行者を見ては争か其の影をばをしみ給うべき、我が一門は深く此の心を信ぜさせ給うべし、八幡大菩薩は此にわたらせ給うなり、疑い給う事なかれ疑い給う事なかれ、恐恐謹言。

=十二月十六日                 日蓮花押

%   四条金吾殿女房御返事


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満月城岡山ポケット版御書