日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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祈祷抄

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復八世界微塵数の衆生薬王品の八万四千の菩薩妙音品の八万四千の菩薩又四万二千の天子普門品の八万四千陀羅尼品の六万八千人妙荘厳王品の八万四千人勧発品の恒河沙等の菩薩三千大千世界微塵数等の菩薩此れ等の菩薩を委く数へば十方世界の微塵の如し、十方世界の草木の如し、十方世界の星の如し、十方世界の雨の如し、此等は皆法華経にして仏にならせ給いて、此の三千大千世界の地上地下虚空の中にまします、迦葉尊者は・足山にあり、文殊師利は清凉山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀山にあり、観音は補陀落山にあり、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王阿修羅王は海底海畔にあり、帝釈は・利天に梵王は有頂天に魔醯修羅は第六の佗化天に四天王は須弥の腰に日月衆星は我等が眼に見へて頂上を照し給ふ、江神河神山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。

 仏法華経をとかせ給いて年数二千二百余年なり、人間こそ寿も短き故に仏をも見奉り候人も待らぬ、天上は日数は永く寿も長ければ併ながら仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり人間の五十年は四王天の一日一夜なり、此れ一日一夜をはじめとして三十日は一月十二月は一年にして五百歳なり、されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり、されば日月並びに毘沙門天王は仏におくれたてまつりて四十四日いまだ二月にたらず、帝釈梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすきず、わづかの間にいかでか仏前の御誓並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべきなんど思いつらぬればたのもしき事なり、されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし世間の法には我がおもはざる事も父母主君師匠妻子をろかならぬ友なんどの申す事は恥ある者は意にはあはざれども名利をもうしなひ、寿ともなる事も侍るぞかし、何に況や我が心からをこりぬる事は、


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満月城岡山ポケット版御書