日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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十八円満抄

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複疎とは無作の三諦は一切法に遍して本性常住なり理性の円融に同じからず故に複疎と名く、易解とは三諦円融等の義知り難き故に且らく次第に附して其の義を分別す故に易解と名く、此れを附文の五重と名く、次に本意に依て亦五重の三観有り、一に三観一心[入寂門の機]、二に一心三観[入照門の機]、三に住果還の一心三観上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す、四に為果行因の一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す、五に付法の一心三観五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く、山家の云く[塔中の言なり]亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名くと。

 問うて云く天真独朗の止観の時一念三千一心三観の義を立つるや、答えて云く両師の伝不同なり、座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く、和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり、大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり。


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