日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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浄蓮房御書

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あみだ(阿弥陀)仏は第一第二を迎えとらせ給う、而るに今末代の凡夫は第一第二に相当れり、而るを浄影大師天台大師等の他宗の人師は此の事を弁えずして九品の浄土に聖人も生ると思へり・りが中の・りなり、一向末代の凡夫の中に上三品は遇大始めて大乗に値える凡夫、中の三品は遇小始めて小乗に値へる凡夫、下の三品は遇悪一生造悪無間非法の荒凡夫、臨終の時始めて上の七種の衆生を弁えたる智人に行きあひて岸の上の経経をうちすてて水に溺るるの機を救はせ給う、観経の下品下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授けたり、されば我れ一切経を見るに法華経等は末代の機には千中無一なり、第一第二の我等衆生は第三已上の機の為に説かれて候、法華経等を末代に修行すれば身は苦しんで益なしと申して善導和尚は立所に法華経を抛げすてて観経を行ぜしかば三昧発得して阿弥陀仏に見参して重ねて此の法門を渡し給う四帖の疏是なり、導の云く「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す是を以て勧めて浄土に帰せしむ亦水に溺るる人の如く急に須く偏に救うべし岸上の者何ぞ用いて済うことを為さん」と云云、又云く「深心と言えるは即ち是れ深信の心なり、亦二種有り、一には決定して自身は現に是れ罪悪生死の凡夫なり曠劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」又云く「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したもうこと疑無く慮り無く彼の願力に乗ずれば定めて往生を得ると深信す」云云、此の釈の心は上にかき顕して候、浄土宗の肝心と申すは此れなり、我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二なり、さる時に釈迦仏の教には出離の縁有ること無し、法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを三心の中の深心とは申すなり」等云云、此又導和尚の私儀には非ず、綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かうぜしが曇鸞法師の碑の文を見て立所に涅槃経を捨てて観経に遷りて後此の法門を導には教えて候なり、鸞法師と申せし人は斉の代の人なり漢土にては時に独歩の人なり、初には四論と涅槃経とをかうぜしが菩提流支と申す三蔵に値いて四論と涅槃を捨て観経に遷りて往生をとげし人なり、三代が間伝え候法門なり、


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満月城岡山ポケット版御書