日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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新池殿御消息

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日蓮をば上下の男女尼法師貴き聖人なんど伝はるる人人は殊に敵となり候、其の故はいづれも後生をば願へども男女よりは僧尼こそ願ふ由はみえ候へ、彼等は往生はさてをきぬ今生の世をわたるなかだちとなる故なり、智者聖人又我好我勝たりと申し本師の跡と申し所領と申し名聞利養を重くしてまめやかに道心は軽し、仏法はひがさまに心得て愚癡の人なり、謗法の人なりと言をも惜まず人をも憚らず、当知是人仏法中怨の金言を恐れて我是世尊使処衆無所畏と云う文に任せていたくせむる間未得謂為得我慢心充満の人人争かにくみ嫉まざらんや。

 されば日蓮程天神七代地神五代人王九十余代にいまだ此れ程法華経の故に三類の敵人にあだまれたる者なきなり、かかる上下万人一同のにくまれ者にて候に此れまで御渡り候いし事おぼろげの縁にはあらず宿世の父母か昔の兄弟にておはしける故に思い付かせ給うか、又過去に法華経の縁深くして今度仏にならせ給うべきたねの熟せるかの故に在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思い出ださせ給いけるやらん。

 其の上遠江の国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり、宿宿のいぶせさ嶺に昇れば日月をいただき谷へ下れば穴へ入るかと覚ゆ、河の水は矢を射るが如く早し大石ながれて人馬むかひ難し、船あやうくして紙を水にひたせるが如し、男は山かつ女は山母の如し、道は縄の如くほそく木は草の如くしげし、かかる所へ尋ね入らせ給いて候事何なる宿習なるらん、釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給いて入らせ給いけるにや、ありがたしありがたし、事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候間留め候い畢んぬ。

=弘安二年己卯五月二日                     日蓮花押

%  新池殿御返事


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満月城岡山ポケット版御書