日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

新池御書

<前 P1441 次>


仏陀化をやめて寂光土へ帰り給へば堂塔寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ、国の費民の歎きにていらかを並べたる計りなり、是れ私の言にあらず経文にこれあり習ふべし。

 諸仏も諸神も謗法の供養をば全く請け取り給はず況や人間としてこれをうくべきや、春日大明神の御託宣に云く飯に銅の炎をば食すとも心穢れたる人の物をうけじ、座に銅の焔には坐すとも心汚れたる人の家にはいたらじ、草の廊萱の軒にはいたるべしと云へり、縦令千日のしめを引くとも不信の所には至らじ、重服深厚の家なりとも有信の所には至るべし云云、是くの如く善神は此の謗法の国をばなげきて天に上らせ給いて候、心けがれたると申すは法華経を持たざる人の事なり、此の経の五の巻に見えたり、謗法の供養をば銅焔とこそおほせられたれ、神だにも是くの如し況や我等凡夫としてほむらをば食すべしや、人の子として我が親を殺したらんものの我に物をえさせんに是を取るべきや、いかなる智者聖人も無間地獄を遁るべからず、又それにも近づくべからず与同罪恐るべし恐るべし。

 釈尊は一切の諸仏一切の諸神人天大会一切衆生の父なり主なり師なり、此の釈尊を殺したらんに争か諸天善神等うれしく思食すべき、今此の国の一切の諸人は皆釈尊の御敵なり、在家の俗男俗女等よりも邪智心の法師ばらは殊の外の御敵なり、智慧に於ても正智あり邪智あり智慧ありとも其の邪義には随ふべからず、貴僧高僧には依るべからず、賎き者なりとも此の経の謂れを知りたらんものをば生身の如来のごとくに礼拝供養すべし是れ経文なり、されば伝教大師は無智破戒の男女等も此の経を信ぜん者は小乗二百五十戒の僧の上に座席に居よ末座すべからず況や大乗此の経の僧をやとあそばされたり、今生身の如来の如くにみえたる極楽寺の良観房よりも此の経を信じたる男女は座席を高く居ることこそ候へ、彼の二百五十戒の良観房も日蓮に会いぬれば腹をたて眼をいからす是ただごとにはあらず、智者の身に魔の入りかはればなり、譬えば本性よき人なれども酒に酔いぬればあしき心出来し人の為にあしきが如し、


<前 P1441 次>


満月城岡山ポケット版御書