日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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神国王御書

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しかれども法華宗をば月のごとく真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。

 同じき御宇に円珍和尚と申す人御入唐漢土にして法華真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝す、此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真第二の座主円澄別当光定第三の座主円仁等に法華真言の両宗をならいきわめ給うのみならず又東寺の真言をも習い給へり、其の後に漢土にわたりて法華真言の両宗をみがき給う今の三井寺の法華真言の元祖智証大師此れなり、已上四大師なり。

 総じて日本国には真言宗に又八家あり、東寺に五家弘法大師を本とす天台に三家慈覚大師を本とす。

 人王八十一代をば安徳天皇と申す父は高倉院の長子母は太政入道の女建礼門院なり、此の王は元暦元年[乙巳]三月二十四日八島にして海中に崩じ給いき、此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給う、人王八十二代は隠岐の法王と申す高倉の第三の王子文治元年[丙午]御即位、八十三代には阿波の院隠岐の法皇の長子建仁二年に位を継ぎ給う、八十四代には佐渡の院隠岐の法皇の第二の王子承久三年[辛巳]二月二十六日に王位につき給う、同じき七月に佐渡の島にうつされ給う、此の二三四の三王は父子なり鎌倉の右大将の家人義時にせめられさせ給へるなり。

 此に日蓮大いに疑つて云く仏と申すは三界の国主大梵王第六天の魔王帝釈日月四天転輪聖王諸王の師なり主なり親なり、三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給いて諸国の総領別領等の主となし給へり、故に梵釈等は此の仏を或は木像或は画像等にあがめ給う、須臾も相背かば梵王の高台もくづれ帝釈の喜見もやぶれ輪王もかほり落ち給うべし、神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとくあがめ給う、此れ又国王国人のための父母なり主君なり師匠なり片時もそむかば国安隠なるべからず、此れを崇むれば国は三災を消し七難を払い人は病なく長寿を持ち後生には人天と三乗と仏となり給うべし。


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