<前
P1520 次>其の上安徳天皇の御宇には明雲の座主御師となり太上入道並びに一門怠状を捧げて云く「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云、叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆五檀の大法を行い、大臣以下は家家に尊勝陀羅尼不動明王を供養し諸寺諸山には奉幣し大法秘法を尽くさずという事なし。
又承久の合戦の御時は天台の座主慈円仁和寺の御室三井等の高僧等を相催して日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行われ給う、所謂承久三年[辛巳]四月十九日に十五檀の法を行わる、天台の座主は一字金輪法等五月二日は仁和寺の御室如法愛染明王法を紫宸殿にて行い給う、又六月八日御室守護経法を行い給う、已上四十一人の高僧十五壇の大法此の法を行う事は日本に第二度なり、権の大夫殿は此の事を知り給う事なければ御調伏も行い給はず、又いかに行い給うとも彼の法法彼の人人にはすぐべからず、仏法の御力と申し王法の威力と申し彼は国主なり三界の諸王守護し給う、此れは日本国の民なりわづかに小鬼ぞまほりけん代代の所従重重の家人なり、譬へば王威を用いて民をせめば鷹の雉をとり・のねずみを食い蛇のかへるをのみ師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ、なにしにかかろがろしく天神地祇には申すべき、仏菩薩をばをどろかし奉るべき、師子王が兎をとらむには精進すべきか、たかがきじを食んにはいのり有るべしや、いかにいのらずとも大王の身として民を失わんには大水の小火をけし大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ、其の上大火に枯木を加うるがごとく大河に大雨を下すがごとく王法の力に大法を行い合せて頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給う、譬へば古酒に酔る者のごとし蛇の蝦の魂を奪うがごとし頼朝と義時との御魂御名御姓をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまいせていのりしかばいかにもこらうべしともみへざりしにいかにとして一年一月も延びずしてわづか二日一日にはほろび給いけるやらむ、仏法を流布の国主とならむ人人は能く能く御案ありて後生をも定め御いのりも有るべきか。
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