日蓮大聖人御書
ネット御書
(開目抄上)
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我が身にもさもやとうちをぼうる事は二乗作仏久遠実成なるべし、法華経の現文を拝見するに舎利弗は華光如来迦葉は光明如来須菩提は名相如来迦旃延は閻浮那提金光如来目連は多摩羅跋栴檀香仏富楼那は法明如来阿難は山海慧自在通王仏羅ョ羅は蹈七宝華如来五百七百は普明如来学無学二千人は宝相如来摩訶波闍波提比丘尼耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来具足千万光相如来等なり、此等の人人は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども爾前の経経を披見の時はけをさむる事どもをほし、其の故は仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す、外典外道の中の賢人聖人天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし、此の大人「唯以一大事因縁故出現於世」となのらせ給いて「未だ真実を顕さず世尊は法久しうして後要ず当に真実を説くべし正直に方便を捨て」等云云、多宝仏証明を加え分身舌を出す等は舎利弗が未来の華光如来迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網をなすべき。
 而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり大方広仏華厳経に云く「如来の知慧大薬王樹は唯二処に於て生長して利益を為作すこと能わず、所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び善根を壊る非器の衆生は大邪見貪愛の水に溺るるとなり」等云云、此の経文の心は雪山に大樹あり無尽根となづく此を大薬王樹と号す、閻浮提の諸木の中の大王なり此の木の高さは十六万八千由旬なり、一閻浮提の一切の草木は此の木の根ざし枝葉華菓の次第に随つて華菓なるなるべし、此の木をば仏の仏性に譬へたり一切衆生をば一切の草木にたとう、但し此の大樹は火坑と水輪の中に生長せず、二乗の心中をば火坑にたとえ一闡提人の心中をば水輪にたとえたり、此の二類は永く仏になるべからずと申す経文なり、大集経に云く「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等云云、外典三千余巻の所詮に二つあり


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