日蓮大聖人御書
ネット御書
(撰時抄)
<1.前 P0276 2.次>

爾の時に善無畏三蔵大に巧んで云く大日経に住心品という品あり無量義経の四十余年の経経を打ちはらうがごとし、大日経の入漫陀羅已下の諸品は漢土にては法華経大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし、釈迦仏は舎利弗弥勒に向つて大日経を法華経となづけて印と真言とをすてて但理計りをとけるを羅什三蔵此れをわたす天台大師此れをみる、大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩トに向つてとかせ給う此れを大日経となづく我まのあたり天竺にしてこれを見る、されば汝がかくべきやうは大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし、もししからば大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちをとすべし、さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば三密相応の秘法なるべし、三密相応する程ならば天台宗は意密なり真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横たへ太刀を腰にはけるがごとし、天台宗は意密計りなれば甲なる将軍の赤裸なるがごとくならんといゐければ、一行阿闍梨は此のやうにかきけり、漢土三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ始めには勝劣を諍論しけれども善無畏等は人がらは重し天台宗の人人は軽かりけり、又天台大師ほどの智ある者もなかりければ但日日に真言宗になりてさてやみにけり、年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候いけり、日本国の伝教大師漢土にわたりて天台宗をわたし給うついでに真言宗をならべわたす、天台宗を日本の皇帝にさづけ真言宗を六宗の大徳にならはせ給う、但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う、入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論の計りなかりけるかのあひだ敵多くしては戒場の一事成りがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず、但し依憑集と申す一巻の秘書あり七宗の人人の天台に落ちたるやうをかかれて候文なり、かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候弘法大師は同じき延暦年中に御入唐青竜寺の慧果に値い給いて真言宗をならはせ給へり、御帰朝の後一代の勝劣を判じ給いけるに


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