日蓮大聖人御書
ネット御書
(撰時抄)
<1.前 P0277 2.次>

第一真言第二華厳第三法華とかかれて候、此の大師は世間の人人もつてのほかに重ずる人なり、但し仏法の事は申すにをそれあれどももつてのほかにあらき事どもはんべり、此の事をあらあらかんがへたるに漢土にわたらせ給いては但真言の事相の印真言計り習いつたえて其の義理をばくはしくもさはぐらせ給はざりけるほどに日本にわたりて後大に世間を見れば天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我が重ずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに本日本国にして習いたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり、それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけんすこしいろをかえて此れは大日経竜猛菩薩の菩提心論善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども天台宗の人人いたうとがめ申す事なし。
 問うて云く弘法大師の十住心論秘蔵宝鑰二教論に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」又云く「無明の辺域にして明の分位に非ず」又云く「第四熟蘇味なり」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、此等の釈の心如何、答えて云く予此の釈にをどろいて一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに華厳経と大日経とに対すれば法華経戯論六波羅蜜経に対すれば盗人守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず此の事はいとはかなき事なれども此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用いさせ給へば定めてゆへあるかとをもひぬべし、しばらくいとやすきひが事をあげて余事のはかなき事をしらすべし、法華経を醍醐味と称することは陳隋の代なり六波羅蜜経は唐の半に般若三蔵此れをわたす、六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給はめ、傍例あり日本の得一が云く天台大師は深密経の三時教をやぶる三寸の舌をもつて五尺の身をたつべしとののしりしを伝教大師此れをただして云く深密経は唐の始玄奘これをわたす天台は陳隋に人智者御入滅の後数箇年あつて深密経わたれり、


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