日蓮大聖人御書
ネット御書
(報恩抄)
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弟子等も用ゆる事なし事相計りは其の門家なれども其の教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに善無畏金剛智不空慈覚智証の義にてあるなり、慈覚智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやとをもう、かうをもうゆへに事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人画像木像の開眼の仏事をねらはんがために日本一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり、例せば法師と尼と黒と青とはまがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし、僧と男と白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや、慈覚智証の義は法師と尼と黒と青とがごとくなるゆへに智人も迷い愚人もあやまり候て此の四百余年が間は叡山園城東寺奈良五畿七道日本一州皆謗法の者となりぬ。
 抑も法華経の第五に「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり、さるにては善無畏金剛智不空弘法慈覚智証等は此の経文をばいかんが会通せさせ給うべき、法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云、此の経文のごとくならば法華経の行者は川流江河の中の大海衆山の中の須弥山衆星の中の月天衆明の中の大日天、転輪王帝釈諸王の中の大梵王なり、伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為第一なり能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云、已上玄文とかかせ給いて上の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず、天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり已に仏説に拠る豈自歎ならん哉」等云云、次下に譲る釈に云く「委曲の依憑具さに別巻に有るなり」等云云、依憑集に云く「今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す


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