日蓮大聖人御書
ネット御書
(報恩抄)
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今日切るあす切るといひしほどに四箇年というに結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月十四日にゆりて同じき三月二十六日に鎌倉へ入り同じき四月八日平の左衛門の尉に見参してやうやうの事申したりし中に今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ、同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり、これはひとへに父母の恩師匠の恩三宝の恩国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざればさでこそ候へ、又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれということは定まるれいなり、此の功徳は定めて上三宝下梵天帝釈日月までもしろしめしぬらん、父母も故道善房の聖霊も扶かり給うらん、但疑い念うことあり目連尊者は扶けんとおもいしかども母の青提女は餓鬼道に墜ちぬ、大覚世尊の御子なれども善星比丘は阿鼻地獄へ墜ちぬ、これは力のまますくはんとをぼせども自業自得果のへんはすくひがたし、故道善房はいたう弟子なれば日蓮をばにくしとはをぼせざりけるらめどもきわめて臆病なりし上清澄をはなれじと執せし人なり、地頭景信がおそろしさといゐ提婆瞿伽利にことならぬ円智実成が上と下とに居てをどせしをあながちにをそれていとをしとをもうとしごろの弟子等をだにもすてられし人なれば後生はいかんがと疑わし、但一の冥加には景信と円智実成とがさきにゆきしこそ一のたすかりとはをもへども彼等は法華経十羅刹のせめをかほりてはやく失ぬ、後にすこし信ぜられてありしはいさかひの後のちぎりき(乳切木)なり、ひるのともしびなにかせん其の上いかなる事あれども子弟子なんどいう者は不便なる者ぞかし、力なき人にもあらざりしがさどの国までゆきしに一度もとぶらはれざりし事は法華経を信じたるにはあらぬぞかしそれにつけてもあさましければ彼の人の御死去ときくには火にも入り水にも沈みはしりたちてもゆひて御はかをもたたいて経をも一巻読誦せんとこそおもへども賢人のならひ心には遁世とはおもはねども人は遁世とこそおもうらんにゆへもなくはしり出ずるならば末へもとをらずと人おもひぬべし、さればいかにおもひたてまつれどもまいるべきにあらず、


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