日蓮大聖人御書
ネット御書
(下山御消息)
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此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず、大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり此れ偏に法華宗の流布すべき方便なり、大乗出現の後には肩を並べて行ぜよとにはあらず例せば儒家の本師たる孔子老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣されて内典の初門に礼楽の文を諸人に教えたりき、止観に経を引いて云く「我三聖を遣して彼の震旦を化す」等云云、妙楽大師云く「礼楽前に馳せ真道後に啓く」と云云、仏は大乗の初門に且らく小乗戒を説き給いしかども時すぎぬれば禁めて云く涅槃経に云く「若し人有つて如来は無常なりと言わん云何んぞ是の人舌堕落せざらん」と等云云、其の後人王第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師と申せし聖人出現せり始めには華厳三論法相倶舎成実律の六宗を習い極め給うのみならず、達磨宗の淵底を探り究め給ひ剰へいまだ日本国に弘通せざる天台真言の二宗をも尋ね顕わして浅深勝劣を心中に究竟し給へり、去延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄山に行幸なり給い、南都七大寺の長者善議勤操等の十四人を教大師に召し合せて六宗と法華宗との勝劣を糾明せられしに六宗の碩学宗宗毎に我宗は一代超過の由各各に立て申されしかども教大師の一言に万事破れ畢んぬ、其の後皇帝重ねて口宣す和気弘世を御使として諌責せられしかば七大寺六宗の碩学一同に謝表を奉り畢んぬ、一十四人の表に云く「此界の含霊而今而後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済ることを得」云云、教大師云く「二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」又云く「一乗の家には都て権を用いず」又云く「穢食を以て宝器に置くこと無し」又云く「仏世の大羅漢已に此の呵嘖を被むれり滅後の小蚊虻何ぞ此れに随わざらん」云云、此れ又私の責めにはあらず法華経には「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云涅槃経には「邪見の人」等云云、邪見方便と申すは華厳大日経般若経阿弥陀経等の四十余年の経経なり、捨とは天台の云く「廃るなり」又云く「謗とは背くなり」正直の初心の行者の法華経を修行する法は上に挙ぐるところの経経宗宗を抛つて一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり、


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