日蓮大聖人御書
ネット御書
(本尊問答抄)
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去る弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき勅を給いて真言の秘法を弘通し給う然らば五畿七道六十六箇国二の島にいたるまでも鈴をとり杵をにぎる人たれかこの末流にあらざるや。
 又慈覚大師は下野の国の人広智菩薩の弟子なり、大同三年御歳十五にして伝教大師の御弟子となりて叡山に登りて十五年の間六宗を習い法華真言の二宗を習い伝え承和五年御入唐漢土の会昌天子の御宇なり、法全元政義真法月宗叡志遠等の天台真言の碩学に値い奉りて顕密の二道を習い極め給う、其の上殊に真言の秘教は十年の間功を尽し給う大日如来よりは九代なり嘉祥元年仁明天皇の御師なり、仁寿斉衡に金剛頂経蘇悉地経の二経の疏を造り叡山に総持院を建立して第三の座主となり給う天台の真言これよりはじまる。
 又智証大師は讃岐の国の人天長四年御年十四叡山に登り義真和尚の御弟子となり給う、日本国にては義真慈覚円澄別当等の諸徳に八宗を習い伝え去る仁寿元年に文徳天皇の勅を給いて漢土に入り宣宗皇帝の大中年中に法全良ー和尚等の諸大師に七年の間顕密の二教習い極め給いて去る天安二年に御帰朝文徳清和等の皇帝の御師なり、何れも現の為当の為月の如く日の如く代代の明主時時の臣民信仰余り有り帰依怠り無し故に愚癡の一切偏に信ずるばかりなり誠に法に依つて人に依らざれの金言を背かざるの外は争か仏によらずして弘法等の人によるべきや、所詮其の心如何、答う夫れ教主釈尊の御入滅一千年の間月氏に仏法の弘通せし次第は先五百年は小乗後の五百年は大乗小大権実の諍はありしかども顕密の定めはかすかなりき、像法に入りて十五年と申せしに漢土に仏法渡る始は儒道と釈教と諍論して定めがたかりきされども仏法やうやく弘通せしかば小大権実の諍論いできたる、されどもいたくの相違もなかりしに、漢土に仏法渡りて六百年玄宗皇帝の御宇善無畏金剛智不空の三三蔵月氏より入り給いて後真言宗を立てしかば、華厳法華等の諸宗は以ての外にくだされき上一人自り下万民に至るまで真言には法華経は雲泥なりと思いしなり、其の後徳宗皇帝の御宇に妙楽大師と申す人


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