日蓮大聖人御書
ネット御書
(諸宗問答抄)
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さては禅法は天魔の伝うる所の法門なり如何、然る間汝断常の二見を出でず無間地獄に堕せん事疑無しと云つて何度もかれが云う言にてややもすれば己がつまる語なり、されども非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し。
 次に即身即仏とは即身即仏なる道理を立てよと責む可し其の道理を立てずして無理に唯即身即仏と云わば例の天魔の義なりと責む可し但即身即仏と云う名目を聞くに天台法華宗の即身成仏の名目つかひを盗み取て禅宗の家につかふと覚えたり、然れば法華に立つる様なる即身即仏なるか如何とせめよ、若し其の義無く押して名目をつかはばつかはるる語は無障礙の法なり譬えば民の身として国王と名乗ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり、又瓦礫を玉と云う者の如し石瓦を玉と云いたりとも會て石は玉にならず、汝が云う所の即身即仏の名目も此くの如く有名無実なり不便なり不便なり。
 次に不立文字と云う所詮文字と云う事は何なるものと得心此くの如く立てられ候や、文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり汝若し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず汝六根を離れて禅の法門一句答へよと責む可きなり、さてと云うもかうと云うも有と無との二見をば離れず無と云わば無の見なりとせめよと有と云わば有の見なりとせめよ、何れも何れも叶わざる事なり。
 次に修多羅の教は月をさす指の如しと云うは月を見て後は徒者と云う義なるか若其義にて候わば御辺の親も徒者と云う義か


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