日蓮大聖人御書
ネット御書
(諸宗問答抄)
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又師匠は弟子の為に徒者か又大地は徒者か又天は徒者か、如何となれば父母は御辺を出生するまでの用にてこそあれ御辺を出生して後はなにかせん、人の師は物を習い取るまでこそ用なれ習い取つて後は無用なり、夫れ天は雨露を下すまでこそあれ雨ふりて後は天無用なり大地は草木を出生せんが為なり草木を出生して後は大地無用なりと云わん者の如し、是を世俗の者の譬に喉過ぬればあつさわすれ病愈えぬれば医師をわすると云うらん譬に少も違わず相似たり、所詮修多羅と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命なりと天台釈し給へり、天台は震旦禅宗の祖師の中に入れたり、何ぞ祖師の言を嫌はん其の上御辺の色心なり凡そ一切衆生の三世不断の色心なり、何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字と云うや、是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し、真実の禅法をば何としてか知るべき哀なる禅の法門かなと責む可し。
 次に華厳法相三論倶舎成実律宗等の六宗の法門いかに花をさかせても申しやすく返事すべき方は能能いはせて後南都の帰伏状を唯読みきかす可きなり、既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武天皇に奏し奉る、仍て彼帰伏状を山門に納められぬ其外内裏にも記せられたり諸道の家家にも記し留めて今にあり、其より已来華厳宗等の六宗の法門末法の今に至るまで一度も頭をさし出さず何ぞ唯今事新く捨られたる所の権教無得道の法にをいて真実の思をなし此くの如く仰せられ候ぞや心得られずとせむべし。
 次に真言宗の法門は先ず真言三部経は大日如来の説か釈迦如来の説かと尋ね定めて釈迦の説と言はば釈尊五十年の説教にをいて已今当の三説を分別せられたり、其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと之を尋ぬ可し、三説の中にはいづくにこそおさまりたりと云はば例の法門にてたやすかるべき問答なり、若法華と同時の説なり義理も法華と同じと云はば法華は是純円一実の教にて會て方便を交へて説く事なし、大日経等は四教を含用したる経なり何ぞ時も同じ義理も同じと云わんや謬りなりとせめよ、次に大日如来の説法と云はば


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