日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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         十地   無明を断ぜる菩薩
         等覚
         妙覚   無明を断じ尽せる仏なり
此の教は大乗なり戒定慧を明す戒は前の蔵通二教に似ず尽未来際の戒金剛宝戒なり、此の教の菩薩は三悪道を恐しとせず二乗道を恐る地餓畜等の三悪道は仏の種子を断ぜず二乗の道は仏の種子を断ずればなり、大荘厳論に云く「恒に地獄に処すと雖も大菩提を障えず若し自利の心を起さば是れ大菩提の障なり」と、此の教の習は真の悪道とは三無為の火nなり真の悪人とは二乗を云うなり、されば悪を造るとも二乗の戒をば持たじと談ず、故に大般若経に云く「若し菩薩設い恒河沙劫に妙なる五欲を受くるとも菩薩戒に於ては猶犯と名けずと若し一念二乗の心を起さば即ち名けて犯と為す」文、此の文に妙なる五欲とは色声香味触の五欲なり色欲とは青黛珂雪白歯等声欲とは絲竹管絃香欲とは沈檀芳薫味欲とは猪鹿等の味触欲とはュ膚等なり、此に恒河沙劫に著すれども菩薩戒は破れず一念の二乗の心を起すに菩薩戒は破ると云える文なり、太賢の古迹に云く「貪に汚さるると雖も大心尽きざるをもつて無余の犯無し起せども無犯と名く」文、二乗戒に趣くを菩薩の破戒とは申すなり華厳般若方等総じて爾前の経にはあながちに二乗をきらうなり定慧此れを略す、梵網経に云く「戒をば謂いて大地と為し定をば謂いて室宅と為す智慧は為灯明なり」文、此の菩薩戒は人畜黄門二形の四種を嫌わず但一種の菩薩戒を授く、此の教の意は五十二位を一一の位に多倶低劫を経て衆生界を尽して仏に成るべし一人として一生に仏に成る者無し、又一行を以て仏に成る事無し一切行を積んで仏と成る微塵を積んで須弥山と成すが如し、華厳方等般若梵網瓔珞等の経に此の旨分明なり、但し二乗界の此の戒を受くる事を嫌ふ、妙楽の釈に云く「メく法華已前の諸経を尋ぬるに実に二乗作仏の文無し」文。


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