日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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 次に円教とは此の円教に二有り一には爾前の円二には法華涅槃の円なり、爾前の円に五十二位又戒定慧あり、爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門文に云く「初発心の時便ち正覚を成ずと」又云く「円満修多羅」文、浄名経に云く「無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず」文、般若経に云く「初発心より即ち道場に坐す」文、観経に云く「韋提希時に応じて即ち無生法忍を得」文、梵網経に云く「衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり」文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にもなり又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても仏に成る少少開会の法門を説く処もあり、所謂浄名経には凡夫を会し煩悩悪法も皆会す但し二乗を会せず、般若経の中には二乗の所学の法門をば開会して二乗の人と悪人をば開会せず、観経等の経に凡夫一毫の煩悩をも断ぜず往生すと説くは皆爾前の円教の意なり、法華経の円経は後に至つて書く可し[已上四教]。
 次に五時、五時とは一には華厳経[結経梵網経]別円二教を説く、二には阿含[結経遺教経]但三蔵教の小乗の法門を説く、三には方等経宝積経観経等の説時を知らざる権大乗経なり[結経瓔珞経]、但し蔵通別円の四教を皆説く、四には般若経[結経仁王経]通教別教円教の後三教を説く三蔵教を説かず、華厳経は三七日の間の説阿含経は十二年の説方等般若は三十年の説、已上華厳より般若に至る四十二年なり、山門の義には方等は説時定まらず説処定まらず般若経三十年と申す、寺門の義には方等十六年般若十四年と申す、秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年但し方等は前般若は後と申すなり、仏は十九出家三十成道と定むる事は大論に見えたり、一代聖教五十年と申す事は涅槃経に見えたり、法華経已前四十二年と申す事は無量義経に見えたり、法華経八箇年と申す事は涅槃経の五十年の文と無量義経の四十二年の文の間を勘うれば八箇年なり、已上十九出家三十成道五十年の転法輪八十入滅


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