日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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と定む可し、此等の四十二年の説教は皆法華経の汲引の方便なり、其の故は無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり○方便力を以てす、四十余年には未だ真実を顕さず初に四諦を説き[阿含経なり]次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」文。
 私に云く説の次第に順ずれば華厳阿含方等般若法華涅槃なり、法門の浅深の次第を列ぬれば阿含方等般若華厳涅槃法華と列ぬべし、されば法華経涅槃経には爾くの如く見えたり華厳宗と申す宗は智厳法師法蔵法師澄観法師等の人師華厳経に依つて立てたり、倶舎宗成実宗律宗は宝法師光法師道宣等の人師阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵慈恩法師等方等部の内に上生経下生経成仏経解深密経瑜伽論唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経百論中論十二門論大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳般若法華涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳法華涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時はいかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し。
 五には法華経と申すは開経には無量義経[一巻]法華経八巻結経には普賢経[一巻]上の四教四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らん為なり、法華経の習としては前の諸経を習わずしては永く心を得ること莫きなり、爾前の諸経は一経一経を習うに又余経を沙汰せざれども苦しからず、故に天台の御釈に云く「若し余経を弘むるには教相を明さざれども義に於て傷むこと無し若し法華を弘むるには教相を明さずんば文義闕くること有り」文、法華経に云く「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」文、種種の道と申すは爾前一切の諸経なり仏乗の為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。


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