日蓮大聖人御書
ネット御書
(顕謗法抄)
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涅槃経の是諸大乗の文計りこそ雙林最後の経として是諸大乗ととかれたれば涅槃経には一切経は嫌はるかとをぼうれども是諸大乗経と挙げて次ぎ下に諸大乗経を列ねたるに十二部修多羅方等般若等とあげたり無量義経法華経をば載せず、但し無量義経に挙ぐるところは四十余年の阿含方等般若華厳経をあげたり、いまだ法華経涅槃経の勝劣はみへず密厳に一切経中王とはあげたれども一切経をあぐる中に華厳勝鬘等の諸経の名をあげて一切経中王ととく故に法華経等とはみへず、阿弥陀経の小善根は時節もなし善根の相貌もみへず、たれかしる小乗経を小善根というか又人天の善根を小善根というか又観経雙観経の所説の諸善を小善根というかいまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。
 又大日経六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも一代の一切経を嫌うてその経をほめたる文はなし、但し無量義経計りこそ前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限りて已説の四十余年今説の無量義経当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり、釈迦如来過去現在未来の三世の諸仏世にいで給いて各各一切経を説き給うにいづれの仏も法華経第一なり、例せば上郎下郎不定なり田舎にしては百姓郎従等は侍を上郎といふ、洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ、又主を王といはば百姓も宅中の王なり地頭領家等も又村郷郡国の王なりしかれども大王にはあらず、小乗経には無為涅槃の理が王なり小乗の戒定等に対して智慧は王なり、諸大乗経には中道の理が王なり又華厳経は円融相即の王般若経は空理の王大集経は守護正法の王薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王大日経は印真言を説く経の中の王一代一切経の王にはあらず、法華経は真諦俗諦空仮中印真言無為の理十二大願四十八願一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり而るを善無畏金剛智不空法蔵澄観慈恩嘉祥南三北七曇鸞道綽善導達磨等の我が所立の依経を一代第一といえるは教をしらざる者なり、


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